数年前、祓いや霊術の講習会を受講して間もない頃、施術を行う機会がありました。
お昼の休憩時間に、同僚の女性が元気がない様子だったので、みんなで心配して話を聞きました。すると、昨夜まったく眠れなかったとのこと。
理由を尋ねると、どうやら一人暮らしの部屋で怖い体験をしたようです。彼女の話によると、昨晩、部屋に誰かがいるような気配を感じ、誰かに自分の首に手を突っ込まれ、何かを入れられたような感覚があったと言うのです。
数年前、祓いや霊術の講習会を受講して間もない頃、施術を行う機会がありました。
お昼の休憩時間に、同僚の女性が元気がない様子だったので、みんなで心配して話を聞きました。すると、昨夜まったく眠れなかったとのこと。
理由を尋ねると、どうやら一人暮らしの部屋で怖い体験をしたようです。彼女の話によると、昨晩、部屋に誰かがいるような気配を感じ、誰かに自分の首に手を突っ込まれ、何かを入れられたような感覚があったと言うのです。
*一個人の経験談としてお読み頂ければ幸いです。
水波霊魂学を学びますと〈伝統〉だから、〈慣習〉だからというただそれだけの理由で、何も考えずに取った宗教的行動を恥じ、自責の念にかられることがあります。その一つが神社への行動です。
人生時として辛くなったり、悲しくなったりと耐え難い経験をすることは誰にでもあると思います。そうした時に〈自力で乗り越える〉ならば一番です。人によっては〈病んでしまう〉こともあるかもしれない。自分は〈神仏に縋る〉ことも一つの突破口だ、と過去そう思いました。日本には沢山の寺社仏閣がありますから。
自分の脳では解決できない問題を人間の世界を超えた存在へ投げかけるのだから(宗教的行動)、神や霊的なことを本気で信じている方々が神を敬い、霊的に高級な空間を維持するために日々ご努力を続けられる「神聖な空間」で祈らなければならない。綺麗に掃除された所か、文化財に登録された所か等を考慮に入れるのは重要ではなくなります。このような考えが纏まってきますと自分の過去の神社参拝やそこで入手したお札には、〈神〉を求めたのではなく〈ご利益〉を求めたと認めざるを得なくなりました。
入会後、神社参拝はやめ、いずれ処分する方法が見つかるであろうと考えていた「お札」は自宅にそのままでした。しかし、ご利益のために参拝していた神社へ戻す勇気もなく、自分のご利益祈願(欲望)の集積のお札に触る勇気さえもなく霊術をお願いすることにしました。
霊術依頼後・・・
・神様に一心にお願いすればよいという自己中心的な考え
・神社参拝とは、本来宗教的行動であるという認識の欠如
を反省し、神棚のお札や神社参拝に執着しながら幸福を願うよりも、霊魂学から霊的生命体としての人間を知ることで従来悩んでいた事の質が変化したので漠然とした強い不安が少しずつ減っていった、霊術を受けた後にそのような心の変化があります。
byくろもじ
初めまして。
円(まどか)と申します。
この度、一般社団法人 群馬支部のブログ に参加させていただくことになりました。
初回ですので、まずは自己紹介からはじめたいと思います。
それでは、どうぞ。
目次
~ その1 ~
1、入会のきっかけ
2、契山館を知ったきっかけ
~ その 2~
3、群馬支部集会
4、入会
~ その3~
5、その後
6、入会を迷っている方へ
そもそもは、作法や瞑想などの霊的修行を誰かにちゃんと習いたいと思ったことです。
とはいえ藪から棒にそんな思いに至った訳はなく、ある人から信仰することについて学んだことが始まりでした。
自宅の書棚を整理していたら、私が30~40年ほど前に入会していた宗教の書籍が目に留まりました。
《契山館》に入会してからは、他の宗教の書籍を読むことはなかったのですが、久し振りにページをめくってみると、次々と以下のような文章が目に入ってきました。 続きを読む