私が契山館を知ることとなったのは、書籍「龍」で、
その後に群馬支部集会を見学し、入会後丸2年ほどが経ちます。
先日のこまさんの記事🔗を読んで見学時のことを思い出したので、改めて当時を振り返ってみようと思います。
☆ 支部集会の見学に抵抗はなかった?
まず、距離的に抵抗がありました。 続きを読む
先日、神伝の法を学ぶ研修会に参加してきました。
今回は3つの研修会に参加してきましたが、どれも非常に印象深く、充実した時間を過ごすことができました。帰宅後も、意識の奥が静かに落ち着いているような感覚があり、幽体がたっぷりと良い栄養を吸収できたのだと感じています。
特に今回の収穫だったのは「幽育」です。
しばらく再参加ができていなかったので、自分でも気づかないうちに ”自分なりの癖” がついてしまっていたことに気づきました。
神伝の法の研修会で教わることができる、この「幽育」は、幽体を育むものですが、実践してみると心身の健康にも直結していると強く実感します。
正直なところ、私は霊的なことにはどちらかと言えば鈍感なタイプです。それでも、「幽育」に関しては、幽気や間気の流れ、また高貴な気といった「物質ではないもの」を確かに感じられる気がしています。
参加後は、その「癖」を直すべく、毎日欠かさず幽育を行うようにしています。
そういえば、私が初めて「幽育」を習ったのは、神伝鎮魂法の合宿でのことでした。
当時はすべてが初めての体験でした。あの日、幽育を通じて「物質ではない何か、を実感できた」という経験は、その後の私にとって、霊的生命体として歩む人生の大きなターニングポイントになりました。
振り返ってみると、私が契山館の会員として確信を得て、信仰のきっかけになったのは、この「幽育」だったのだと思います。
迷っている方へ、
「実際に感じてみないことには、文字だけでは分からない」
これが正直なところだと思います。
今、もし契山館の門を叩こうか迷っている方がいらしたら、まずは体験してみてください。群馬支部集会は、見学もできます。
実は、私も最初は半信半疑からのスタートでした。同じように感じている会員も多いように思います。
まずは飛び込んでみて、ご自身の感覚で確かめてみてはいかがでしょうか。
byこま
先日、ある夢を見ました。 いつもならすぐに忘れてしまうのですが、今回は珍しくはっきりと細部まで覚えている夢でした。
私は高層ビルの中にいました。吹き抜けの天井が高く、豪華なホテルのような空間。目の前の大きなガラス窓の向こうには、今よりも少し未来を感じさせる都市の光景が広がっています。周りにはおばあさんや外国人観光客など、さまざまな人がいました。
その夢の中では、
「あと数時間でこの世が終わる。人類は皆死ぬ」
という事実が周知されていました。そして不思議なことに、人々は皆、それを受け止めていたのです。
本来ならパニックが起きてもおかしくない状況ですが、夢のせいか、どこか皆落ち着いていました。
数年前、祓いや霊術の講習会を受講して間もない頃、施術を行う機会がありました。
お昼の休憩時間に、同僚の女性が元気がない様子だったので、みんなで心配して話を聞きました。すると、昨夜まったく眠れなかったとのこと。
理由を尋ねると、どうやら一人暮らしの部屋で怖い体験をしたようです。彼女の話によると、昨晩、部屋に誰かがいるような気配を感じ、誰かに自分の首に手を突っ込まれ、何かを入れられたような感覚があったと言うのです。
*一個人の経験談としてお読み頂ければ幸いです。
水波霊魂学を学びますと〈伝統〉だから、〈慣習〉だからというただそれだけの理由で、何も考えずに取った宗教的行動を恥じ、自責の念にかられることがあります。その一つが神社への行動です。
人生時として辛くなったり、悲しくなったりと耐え難い経験をすることは誰にでもあると思います。そうした時に〈自力で乗り越える〉ならば一番です。人によっては〈病んでしまう〉こともあるかもしれない。自分は〈神仏に縋る〉ことも一つの突破口だ、と過去そう思いました。日本には沢山の寺社仏閣がありますから。
自分の脳では解決できない問題を人間の世界を超えた存在へ投げかけるのだから(宗教的行動)、神や霊的なことを本気で信じている方々が神を敬い、霊的に高級な空間を維持するために日々ご努力を続けられる「神聖な空間」で祈らなければならない。綺麗に掃除された所か、文化財に登録された所か等を考慮に入れるのは重要ではなくなります。このような考えが纏まってきますと自分の過去の神社参拝やそこで入手したお札には、〈神〉を求めたのではなく〈ご利益〉を求めたと認めざるを得なくなりました。
入会後、神社参拝はやめ、いずれ処分する方法が見つかるであろうと考えていた「お札」は自宅にそのままでした。しかし、ご利益のために参拝していた神社へ戻す勇気もなく、自分のご利益祈願(欲望)の集積のお札に触る勇気さえもなく霊術をお願いすることにしました。
霊術依頼後・・・
・神様に一心にお願いすればよいという自己中心的な考え
・神社参拝とは、本来宗教的行動であるという認識の欠如
を反省し、神棚のお札や神社参拝に執着しながら幸福を願うよりも、霊魂学から霊的生命体としての人間を知ることで従来悩んでいた事の質が変化したので漠然とした強い不安が少しずつ減っていった、霊術を受けた後にそのような心の変化があります。
byくろもじ