とんでもないことに気がつきました。
なんと、真の霊媒が存在している世に誕生してしまっているんです。
…師が書籍やホームページなどで御自身を霊媒だとおっしゃっているじゃないですか。
契山館の会員なら周知の事実を、今さら何を語ることがありましょう?
気づくも何もあなた、集会やら合宿やら各種行事に参加しているでしょうに。各種調査も受けたでしょうに。
今まであなたが体験してきた事は何だったんですか?
と、物申したくなりますよね。
‘‘霊媒というのは、霊魂の世界からの通信を得る受信機のような存在です。霊魂が霊媒の口を使って話したり、手を動かして文章を書いたりするのです。’’ ☞書籍 霊魂が示す死後の世界の真実と幸福より
師が霊媒だという知識はあります。
師がとてもすごい力を降ろす人だということも体験しました。
師から受け取った大切な霊査の内容が事実であることを認めており、それが自動書記によって書かれた物であるという知識もあります。
じゃあ、なんで?
はじめて霊媒現象を目の当たりにしたからです。
師が霊媒だということを知っていても、
自分のために書かれた自動書記の内容を読んだとしても、
誰も及ばない力を降ろすまでの空間の変化を体験していたとしても。
神気降臨祭に参加するあの日まで
第一声を聞くその瞬間まで
確かにわたしは霊媒を知り得なかったのです。
師が声を放たれました。
ですが、その音の、言葉の連なりは
確かに師のものではないとはっきりわかるのです。
おそろしいことです。
存じ上げない高貴な方々が、私たちが知覚できるよう肉声で想いの一端を表現してくださったのです。
その時間が。
その光景が。
言葉にあらわされた想いが。
あらわされなかった想いが。
霊媒が存在する時代に生まれた現実が。
魂をつらぬくかのように
どこまでも、どこまでも
ふかく、つき刺さるのでした。
死んだら一目見ることすら叶わないであろう尊い方々が、さまざまな手段で私たちが知覚できるように想いの一端を表現してくださること。
他人の曲解がない、師と霊魂方の共著を気軽に手に取れること。
集会や各種行事など、年に何回も高級な場を設けていただいていること。
修行法を御指導いただいて日々行じられること。
霊媒が存在するから、誕生した数多くの現実。
知識を得て、体験を経て。
これまでの積み重ねがあってようやく、死んでも理解しきれないであろう現実のさわりを、理解しはじめられる状態にしていただいたと思います。
・・・・・・
同日、わたしはざらざらとした悲しみの中にも立ち尽くしていました。
それは、予想を上回って参加者の数が少なかったからです。
おおよその会員数から、あと倍ほどは出席するのかと考えていました。
会員側には金銭や肉体、人間関係などといった物理的なものから、過去世や幽体の意識による妨害などといった霊的なものまで、各々事情があるかと思います。
また、主催者側にも、物理的な事情や霊的な事情があり、今回の参加者数に決定されたのでしょう。
それでも、わたしは悲しかったです。
尊い方はおっしゃいました。
‘‘霊的儀式よりも大切な用事などあるはずがない’’ ☞書籍 霊的クリスマス-霊魂のキリストを求めて- より
別の書籍でも同じことをおっしゃっています。
私たちと神霊の間では時の流れが違うのでしょうが、神霊は何千年の時を、人間の選択の後始末のために苦悩されています。
そうした苦悩から生まれる、書籍や行事での辛いお言葉を聞く度に……
意識が壊れかかるような悲しみと苦しみに襲われます。
人生で1番辛かったことを超えて、わたしにはこの瞬間が辛いのです。
霊的儀式には人数で勝負する側面もあります。
もちろん、参加者の意識が大切なため、ただ人がいれば良いという訳でもありませんが、基本的には人数が多ければその分降りる力も増えます。
それは、降りる力の分だけ、会場の側を通る生き物や霊魂が、良好な幽気と接触できて救われる可能性が増えることも意味します。
儀式は年に数回です。
その回数が増えるか減るかは、
人間全体の選択の集積によって変わるでしょう。
未来は決まっていないのです。
勇気を出して水波霊魂学を感じてください。
事実を認めて、勇気を出して動いてください。
どうか、自分や環境に抗って動いてください。
この世に真の霊媒が存在する間に、尊い方々の想いに応えてくださる方が増えますように。
⬇︎霊的儀式について知りたい方は以下をクリック⬇︎
by円


高貴な存在が話してくださるって凄いですよね~!
ぜひ体験して欲しいです(`・ω・´)
円さんの深い悲しみが、いつか、大きな喜びに変わる日が来ますように。
私も会員として、行動をより良く変えられるように頑張ります。
弟子達は「真の霊媒」が存在することを、そしてその意味を、一人でも多くの人に発信したいですね。
神霊、高貴な存在へ直接、御力になれる機会だと思います。
信仰そのものとも言えるかもしれません。
円さんのご投稿に接して、私も初めて霊的儀式に参加させて頂いた時の記憶が、鮮やかに甦りました。
感動という言葉でも、衝撃という言葉でも、とても表し切れない、とにかく私の魂史上初の、もの凄い体験であったことは間違いありません。
今の時代に生まれて、霊的儀式に集わずして、いったい何のための人生なのでしょう。
参加希望者が殺到して、毎月でも毎週でも、全国各地で、霊的儀式が開催されるような時代の到来を、何としても実現させなければなりませんね。