〈死後の世界〉はあるのか?ないのか?

皆様は〈死後の世界〉が〈ある〉とお考えでしょうか?それとも〈ない〉とお考えでしょうか?

これは人間にとって、最大のテーマと言っても過言ではないほどの、最重要なテーマだと私は思っています。

なぜならば、〈ある〉と考えるか〈ない〉と考えるかによって、人生の指針となるべき価値基準や、それに基づく生き方が、180度変わってしまう可能性があるからです。

例えば《契山館》では、当然〈死後の世界〉が〈ある〉ことを前提としています。

その上で、いわゆる天国と地獄を分ける基準は、《幽体》という霊的身体の状態であると主張していますので、私達は《幽体》を健全化させるように、努めるべきということになります。

しかし、それほど重要であるにも関わらず、日常生活の中で、〈死後の世界〉の〈ある・なし〉について学んだり、考察するような機会は、決して多くはないように見受けられます。

そのためでしょうか、〈死後の世界〉については、何となく〈ある〉ような気がするとか、何となく〈ない〉ような気がするという方が、多いのではないかと私は推測しています。

考えても答えが見つかるわけではありませんし、〈ある〉という説を聞いても、〈ない〉という説を聞いても、その説が真実であると、客観的に証明することは出来ませんから、「よく分からない」「断定出来ない」というのが、無理からぬ自然な認識のようにも思えます。

最近では、〈死後の世界〉は〈ない〉と断定する方が、増化しているとの話を耳にすることもあります。

けれども、〈死後の世界〉が〈ない〉と証明されたことは1度もないわけですから、簡単に〈ない〉と断定するべきではないと私は思います。

もちろん〈死後の世界〉は、〈ある〉とも証明されていないのは、前記の通りですが、〈ある〉とも〈ない〉とも証明されていないからこそ、私達人類にとっては、一生をかけてでも探究し続けて、結論を見出すべき、重要なテーマだと思えるのです。

私が〈死後の世界〉の〈ある・なし〉を強く意識したのは、4歳の時に、父を交通事故で突然亡くした事がきっかけでした。

朝まで元気だった父が、夕方帰ってきたら寝たまま動かなくなっていて、数日後には姿形が見えなくなったのですから、「どうしたのだろう?」「どこへ行ったのだろう?」と疑問に感じるのが普通です。

周囲の人に聞くと、涙ながらに「死んで天国へ行ったのよ」とか言われるわけです。

よく分からないので「死ぬって何?」と聞くと、「居なくなることよ」との回答です。
そこで「居なくなると天国へ行くの?天国はどこにあるの?」と聞くと、明確な答えは帰ってこなかったと記憶しています。

それからです。大人に聞いても、お坊さんに聞いても、よく分からなかったので、自問自答を繰り返したのですが、同じ所をグルグルと回るだけの日々が続きました。

「居なくなって天国へ行ったのなら、天国には居るのか居ないのか?」「死ぬと自己の意識が消滅するのか、存続するのか?」

もちろん、そのような難しい言葉は分かりませんでしたが、そのような事を考えていたようです。

その後、小学校の3~4年の頃に、衝撃的な体験をします。知り合いのお坊さんが、「人間死んだら灰になって終わりだ」と言っているのを聞いてしまったのです。

でもそのお坊さんは、亡くなった方が成仏出来るようにと、いつも戒名を付けたり、葬儀や法事を行っていたわけで、私は混乱してわけが分からなくなりました。

ただ、専門家のお坊さんが「灰になって終わりだ」と仰るのなら、「死後の世界はないのだろう」というのが、当時の私が得た結論でした。

それからの約10年間は、10代にして、死んで消滅する日に向けての、カウントダウンを続けるような、夢も希望もない暗い人生を歩みました。

周囲の人達が、全員、死へのカウントダウンを続けているのに、なぜ平気な顔で日常生活を送ることが出来るのか、不思議でなりませんでした。

でもどこかで、「死後の世界はあるのでは?」との希望を捨て切れなかったようで、高校生になって、大人向けの書籍が読めるようになると、当時、出版されていた宗教書を読み漁るようになりました。

それらの多くは、〈死後の世界〉や〈霊魂〉の存在を前提にしていたため、序々に「やはり、あるかもしれない」との希望を持てるようになりました。

その結果、20歳になる頃には、確信にはほど遠いものの、「あるかないか?」と問われれば、迷わず「あると思う」と答えられるようにはなっていました。

では、いつ〈ある〉との確信が得られたのかというと、実際には《契山館》と出会って、合宿研修会等の様々な行事に、参加するようになってからかもしれません。

肉体の脳で、いくら書籍を読んでも、宗教的な活動を行っても、やはり本物の霊的な体験を経て、本物の霊的な力を感じないと、確信を得ることは難しいように思います。

そのような貴重な経験が出来るのは、現代では《契山館》以外にはないのが現実です。

《契山館》で《神伝の法》の合宿研修会や、霊的な儀式に参加しますと、理屈を超えたところで、圧倒的な霊的パワーを感じて、高級な霊魂の方々の実在を肯定せざるを得なくなります。

どんなに否定しようとしても、とても否定し切れない圧倒的な存在感です。目には何も見えないのに、目に見える存在以上に、確かな存在感があると言っても過言ではありません。

その確実な存在である《高級な霊魂》の皆様が、〈死後の世界〉は〈ある〉と伝えて下さるのであれば、「あるに違いない」と素直に受け入れられるのです。

ぜひ、一人でも多くの方に、《契山館》で、本物の霊的なパワーと接して、真実を受け入れて頂きたいと願っております。

byなおいー

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〈死後の世界〉はあるのか?ないのか?」への4件のフィードバック

  1. 死後の世界は証明出来ないし、肉体では見えも聞こえもしないですけど、
    でも、実際に誰にでも死後の世界で使う、幽体が重なっていますからね~。
    どんなに科学で否定されようが、幽体は実在しているし、意識もあるので、
    契山館の凄い合宿などに参加すると、実感できると思います(´艸`)

  2. なおいーさんの仰るように、契山館の合宿を体験すると、理屈抜きで霊的な何かを感じる事ができます。死後の世界の存在を信じているのに、いろいろな説がありすぎて答えが出せない人が、一人でも多くここに辿り着くようにと、切に思います。

  3. 霊的な世界は、本物と嘘が入り混じっている世界なので、何が正しいのか、判断が難しいことと思いますが、なおいーさんや皆さまがおっしゃる通り、幽体を鍛えますと、自然と答えが見えてくるように私も感じております。

  4. 死や死後について子供の頃の方が純粋に疑問に思いやすいですね。
    大人になるつれ、そうした問題を考えなくなっていきます。

    子供の頃に抱いた死後への疑問は、霊的真実を求めようとしたのかもしれません。
    難しい事が分からなくても、ただ死後がどうなるか。
    そうした疑問や真実を求める方に契山館、水波霊魂学が必要となるでしょう。

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