【神伝の法】日々の修行

以前と比べ、いただいた神伝の法やその他の行法の出来が良い日が増えてきました。

とはいえ所詮初心者、行法の成果に日々ムラができてしまうものです。 これは霊的修行に限った話ではなく、スポーツや習い事でも起こることです。 年数を重ねるのみです。

それでも、わざわざ上の方々を呼び立ててこんなしょうもない人間の面倒を見ていただくからには、毎回次第を成功させたいと思わずにはいられないのです。

 

【なにが辛いって、集中を欠くに決まっているだとか、何とも苦々しい気分だとかの日に行法に臨まないといけないことが少なからずあるのです】

 雑巾をさんざん絞った後のバケツの水のような、そんな時に上の方々を呼び立てる日は本当に申し訳なさすぎて凹みます。しかし、自力でどうにもなりませんし、上の方々を呼ばなければ状況はますます悪化するものです。行じれば、先ほどまでの不調なんて知りませんよ?と言わんばかりに心身が健やかになることもあります。

 とにかくその日の自分がどうであろうと霊魂方をお呼びすることしかできません。じつに無力なのでした。

 

【どうしてかほっとするのは、幽体の痛みを癒し終わらせてあげられるためでしょうか】

  数百年経ってもさらに時を経てもなお、幽体にとっては過去世の痛みが終わっていないのです。 加えて、私たちは幽体を知らなかったために、それを酷使し続けたはずです。痛みは薄れることがなく、ずっとずっと今に在りつづけるのです。 あまりにかわいそうなことです。 神伝の法をすることでやっと、痛みを少しずつ終わらせてあげられます。

  向こうのことなんて何も知りませんが、それでも幽体を労れることに安堵と遠い気持ちを覚えるのでした。

 

【なぜだかときめくのは、見えもしない幽体や霊体を成長させられることです】

  私たちは肉体で生きている以上、幽体や霊体を見たり触ったりすることは叶いません。神伝の法で指導霊や幽体が何をしているのか、間違いも成果も、この世で自力で知り得ることは何ひとつありません。 どこまでもつづく深い雪をかきわけ歩くような、狂気的にも思える道のりです。

  ところが不思議なことに、耳を澄ませば時折、わくわくときらきらが内緒話をしているのが聞こえてくるのでした。

 

 

これからも修行を重ねます。

 

 

 

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by円

【神伝の法】日々の修行」への4件のフィードバック

  1. 疲れていたり、気持ちが乗らなかったり・・・肉体の調子も大きく影響しますよね。
    でも、霊的修行は、自分では確認できない、魂の奥をも刺激する技法で、成果だと感じられたものがあっても無くても、必ず一回一回、自分を変えていくものだと感じています。
    円さんの記事に励まされ、私も、その時々の一回を頑張ります!

  2. 熱心ですね~(´∀`人)
    「継続は力なり!」って感じで何も考えずに続けて来たけど、見習います(*`・ω・)ゞ
    1回1回大事ですね~(*´艸`*)

  3. 私が初心の頃は、円さんのような分析力はなく、自分のことしか考えていなかったと思います。円さんの記事は、私も初心に帰れます。

    答え合わせの出来ない世界ですが、確実に変化している自分に気づいたとき、感謝しかありません。

  4. 修行の出来が良い日が増えてきたとのお話、素晴らしい事だと思います。

    私は、修行を始めた頃に比べれば、多少は良いと思える程度でしょうか・・。やはり、日によってムラが相当あると思います。

    今日は集中力を欠いていると思えるような時に、これではいけないと心掛けると、思いの外、集中出来たり、逆に、集中出来そうに思えた日に、何となく散漫なまま・・・などということもある気がします。

    私は《神伝の法》の修行において、一番大切だと思える事が、まだまだ遥かに及第点に及ばず、反省させられる事ばかりです。

    きっと私に出来る事は、この世を去るその日まで、休む事なく、日々コツコツと、修行を続ける事のみなのでしょう。

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