私が《契山館》に入会したのは、2017年4月でしたから、今年(2021年)の4月で、丸4年が経ったことになります。
あっという間の4年間であったような気もしますが、4年前が、随分、遠い昔のようにも感じられます。
なぜ遠い昔のように感じられるのかというと、現在では《契山館》の会員として、毎日、《神伝の法》の修行を行うのが習慣になっているので、入会する前の《神伝の法》と無縁であった頃の日常の記憶が、薄れてきたからなのかもしれません。
「入会前は一番大切な修行をしないで、何をやっていたのだろう?何のための人生だったのだろう?」といったような感じです。
この世の時間で言えば、《契山館》に入会してからの4年間よりも、入会する前に送っていた人生の方が、十数倍も長いのです。
けれども人生の密度は、入会後の4年間の方が、数十倍は濃いように感じられます。
何が変わったのかと言っても、この世的な意味では、実はあまり変わっていないのかもしれません。
しかし、意識の状態は全く違ったものになりました。この感覚は、ご自身で体験して頂く以外に、ご理解頂く方法はないように思えますが、あえて申し上げれば、心の透明感が増したような感覚でしょうか・・・。
以前は、常にもやのかかった、薄暗い空間に閉じ込められていたかのようです。
もっとも、当時はそれが普通だったので、特に違和感は感じませんでした。
でも今にして思えば、当時、肉体の表面意識が違和感を感じていなかったことが、いかに恐ろしい事かが良く分かります。
つまり、この世で普通に日常を送っているだけで、《幽質界(死後の世界)》で前面に出る《幽体》が、まるで、有毒ガスによって蝕まわれるかのように、侵され続けてしまうのです。
その結果、健康を損ねた《幽体》は、《幽質界》でも下層の、恐怖と苦しみに満ちた世界にしか、適応しない状態になってしまうのです。
私も、もし4年前に《契山館》と出会うことが出来ずに、穢れた《幽気》によって蝕まわれ、攻撃的な念を受けてボコボコにされたままの《幽体》で、この世の人生を終えていたら、待っていたのは、筆舌には尽くし難いほどの、悲惨な未来であったことでしょう。
それを思うと、《契山館》と出会い、霊的な真実に気付く事が出来た幸運に、感謝するばかりです。
特に《神伝の法》の合宿研修会に初参加してからは、前記のように意識の状態が変わる傾向が、格段に強まったように思います。
また、昨年度(2020年)は、《神伝の法》の合宿研修会に、3回参加する機会があったので、霊的に大きなことを吸収させて頂けたと思っています。
やはり人間は、肉体の脳の能力によって限定された未熟な存在ですので、霊的に進歩・向上していくためには、《合宿研修会》にせよ、《日帰り研修会》にせよ、《支部・分会集会》にせよ、そして《日々の霊的修行》にせよ、1回でも多く何度も体験して、経験を重ねていくことが不可欠だと思います。
1回で理解出来なかったり、実感出来なかったことも、何回目かに、或いは数か月後に実感出来ることもありますし、1回目に理解出来たと思ったことが、誤りであったり不十分であったと、後になって気付かされることもあるように感じられます。
現代を生きる私達人間が、最低限、為さねばならないこと。
それは《幽気》《間気》《幽体》等の霊的状態を良好にして、日常生活を送る中で、不道徳な霊魂の干渉を受けて不幸になったり、死後に入る《幽質界》で、下の世界に落ちて苦しむような事態を防ぐことです。
《契山館》には、そのための唯一の安全確実な方法、《神伝の法》があります。
また、《霊的状態等の調査》を受ければ、実際にその時点での《幽気》《間気》《幽体》等の状態を確認することも可能で、必要があれば《霊術(霊的技術)》によって、それらの霊的状態を改善することも可能です。
今、私達は《神伝の法》が《富士の神》から、降ろされている奇跡の時代の真っ只中に存在しています。
そのような日本に生まれ合わせて、《神伝の法》と無縁の人生を送ってしまうようなことが、あってよいのでしょうか?
《霊体》という《高貴な霊的身体》さえも所持しているという私達人間は、本来《神伝の法》と無縁でいられるはずがなく、その気にさえなれば、必ずその存在に気付くための、チャンスが訪れるように思えるのです。
byなおいー
私も、契山館に入会する前の人生は、出来る事ならリセットしたいです。
神伝の法を日々行ずるという修行は、何の苦行でもありません。
日常に、何の無理も無く組み込めます。
その成果は、なおいーさんの仰るように、ご自身で体験して欲しいです。
この時代に生まれたことを、本当に有難く思います。
確かに契山館の4年って長いですね~。
価値観とか、ガラッと変わるし、何の為に生きているのか?分かるし、
今までの人生とは違う人生になりますよね(´艸`)
契山館に入会するまでは、生きているのか、死んでいるのか、分からないような時間を過ごしていました。
生きていることの本当の価値を霊的トレーニングは教えてくれました。
今、本当に私は生きていて、良かったと心から思っています。