先日父が他界しました。享年89歳でした。59歳頃に脳梗塞を患い、30年近く左半身が不自由でした。
父は、契山館会員ではありません。元気の良いときは死後の世界を信じておらず、霊的な話しは嫌いでした。
脳梗塞を患う前にも、交通事故を起こしたことがあり、水波霊魂学で言う、幽質界へ移行する前の夢を見ている状態、所謂お花畑を見た経験をしたらしく、それ以来死後の世界を信じるようになったようです。 続きを読む
先日父が他界しました。享年89歳でした。59歳頃に脳梗塞を患い、30年近く左半身が不自由でした。
父は、契山館会員ではありません。元気の良いときは死後の世界を信じておらず、霊的な話しは嫌いでした。
脳梗塞を患う前にも、交通事故を起こしたことがあり、水波霊魂学で言う、幽質界へ移行する前の夢を見ている状態、所謂お花畑を見た経験をしたらしく、それ以来死後の世界を信じるようになったようです。 続きを読む
皆様の中には、神社などで神様に祈ったり、祈願をするという方がおられるかもしれません。
しかし、残念ながら、人間の祈りが、神様に届くことはないそうです。
究極の神様のことは、あまりにも遠いご存在過ぎて、私達人間には想像が出来ません。
そこで《神質界》におられる《神霊》と呼ばれる最高級の霊的存在が、私達にとっての実質的な神様だと考えられる訳ですが、その《神霊》も、あまりにも偉大な異次元のご存在です。
何しろ、通常の人間では持ち得ない、《神体》という霊的身体で存在されているのです。 続きを読む
7月28日の「このように考えたら、私は《契山館》の主張を受け入れられた(1)」の続編です。
それでは、そのように重要な《契山館》の主張、すなわち、《幽体》の健康状態が、死後の《幽質界》においての入る世界を決める、唯一の基準であるという事が、今まで語られてこなかったのはなぜなのでしょうか?
「それほどまでに重要なことなら、当然、様々な宗教等によって、語られてきたはずではないか?」という疑問が生じてきます。私も、そう思いました。
しかし、《契山館》の書籍等を読み進むうちに、その理由が分かってきました。
それは、既存の宗教等が語らなかったのではなく、語ることが出来なかったからだと気付いたのです。 続きを読む
私が《契山館》の書籍等に出会ってから、その主張を受け入れて、入会を決意するまでに、約1ヶ月かかりました。
なぜ、なかなか入会が決意出来なかったかというと、書籍等の内容に理屈を越えた感銘を受けながらも、それまでに私が学んでいた様々な宗教教義とは、根本的に異なっている点があったからでした。
《契山館》では、まず《幽体》という肉体と重なった霊的身体を、鍛えて健全化し成長させる、ということを何よりも重視しています。
そして、そのための《霊的トレーニング法》である《神伝の法(神伝禊法・神伝鎮魂法を)》の指導がなされています。
《幽体》が健全化して、強い《幽体オーラ》が放たれるようになれば、《高級な霊魂》の方々との接点が増え、逆に不道徳な霊魂や邪霊の子分などは、遠ざける事が可能になります。
その結果、この世においては《守護霊・指導霊》などの《高級な霊魂》の方々の援助を受けながら、霊的に正しい人生を歩む事が可能となる一方、不道徳な霊魂等の干渉により、予期せぬ不幸に見舞われる危険性が低下することになります。
さらに肉体の死後は、健全な《幽体》で《幽質界》という死後の世界へと入れますので、下の方の恐ろしい世界へと落ちる危険性が低下します。
すなわち、この世においても、死後の世界に入ってからも、《幽体》が健全であるかどうかによって、私達の幸不幸が分かれるのです。 続きを読む