イタリアこぼれ話(その40)「市電や市バス等に乗る時には」

今回はイタリアの市電や市バス等、いわゆる市内交通機関の、乗り方についてのお話です。

日本では、均一料金制の市内交通機関に乗車する時には、乗車時に料金を支払うのが普通です。

また、乗車区間によって料金が変動する場合には、乗車時に数字の印字された整理券を受け取って、降車時に当該区間の運賃を支払うのが一般的だったと思いますが、最近は鉄道駅のように、乗車時と降車時に交通系のICカードをタッチするような事もあるようです。

それではイタリアではどうなのか?と言うと、乗車前にフェルマータ(停留所)の前にある、日本のキオスクのような、エディーコラと呼ばれる新聞雑誌販売店で、チケットを購入する必要があります。

均一料金区間には均一料金用の、郊外の料金変動区間へ向かう時には、目的地までのチケットを購入するわけです。

ただしエディーコラは、早朝夜間や休日等には閉まっていますし、郊外等では停留所付近にエディーコラがない場合もあるので、購入出来る時に多目に購入しておく必要があります。

乗車後の車内では、料金を支払えないので注意が必要です。

そして乗車後は、車内に設置されている刻印機で、チケットに乗車時間を刻印しなければなりません。

チケットは乗車時間を刻印してから、たとえば均一区間用は60分間のように、一定時間有効になるシステムです。基本的に、有効時間内は乗り換えは自由です。

日本では、時間や曜日によって、チケットが購入出来ないことなど考えられませんが、イタリア人は、それを不便に感じたりとか、システムを変更しようとは、あまり考えないようです。

イタリアの機械は故障が多いので、自動券売機が設置されても、実用的ではありません。

もしチケットを所持していなかったり、所持していても刻印して有効化されていない事が、抜き打ちで巡回してくる検札係に見つかると、高額な罰金を徴収された上、外国人の場合には、在イタリアの公館に通報される場合もあるようです。

改めて日本は便利な国だと思いますが、便利なのが当たり前過ぎて、不都合な事態が生じた時の責任を、他人に転嫁する傾向が、イタリア人よりも強いような気もします。

売店が閉まっていてチケットが買えなかったとして、平均的なイタリア人は、「買える時に買っておかなかった自分が悪い」と考えそうです。

でも、日本人の私は、「バスが運行されている時間帯なのに、チケットがどこにも売ってないのはおかしい」と思ってしまいそうです。

国民性の違いで、どちらが良いとか悪いという問題ではないでしょう。

しかしながら、今《水波霊魂学》と《神伝の法》を無視してしまったら、将来その責任は、誰にも転嫁することは出来ません。その責任を、自身で負わなければならないという現実からは、決して目を背けてはならないと思います。

byなおいー

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イタリアこぼれ話(その40)「市電や市バス等に乗る時には」」への3件のフィードバック

  1. 移動距離でなくて、移動時間で精算なんて、面白いですね~。

    なおいーさんがおっしゃる通り、どのシステム・どの考え方が良いとか悪いとかいうことじゃなくて、
    お互いの国民性の違いがあるだけなんですよね。

    死後、良いことをしたら天国へ・・・とよくいうけれど、
    何をもって「良いこと」とするかも、交通システム以上に、
    国によって、人によって、大きく違うはずですが、
    それもどちらが良いとか、悪いという問題でなく、
    単純に考え方の違いにすぎないのだと思います。

    死後の世界の法則は、そんなあやふやなもので判断されるわけでありません。
    真実を学ばなくては!

  2. 所変われば何とやらで、常識と思う事も随分と違うのですね。

    この世の常識はあの世の非常識。

    死んでからあの世の実在に慌てても遅いです。
    なおいーさんのおっしゃるように、調べれば見つかるはずの、「神伝の法」と「水波霊魂学」を無視してしまったら、その結果は自分で受け入れるしかありません。

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