ガンリキさんの記事「朝日への祈り」を読んで思い出したことがあります。
少し前に勤務先が変わり、毎日、最寄り駅から職場まで田舎道を約30分、歩いて通勤しています。
のどかな、人も少ない畑の真ん中を歩くのはとても気持ちが良いもので、ちょっと前にその道で見事な虹を見ました。
雨上がり、空の右から左まで半円を描き、それもダブルで架かる虹はとても見事で、思わず写真をたくさん撮りました。
普段は人がいない道ですが、この日は50代くらいの男性が前を歩いています。
その人も虹に見入っている様子でしたが、次の瞬間立ち止まって、虹に向かって手を合わせていました。何度か立ち止まっては手を合わせてを繰り返して、私は追い越してしまったのですが、虹に祈る人を初めて見ました。
ペットが亡くなってしまったとか?
ただ何か願い事をしているのでしょうか?
もし、この人の指導霊が近くに寄れていたら、補助霊が視覚できていたら、その祈りを受け取ってくれるのかもしれないな、と色々想像が膨らみました。・・・。
私は見えているし、霊術を習っている身ですので、もしこの人に向けて作法したら、霊魂方は何らかの力を行使してくださるのでしょうか、などと考えましたが、自由意志が向いているわけでもないので、それは難しいでしょう。
それにしても、純粋そうな祈りに見えました。
この方の霊的な意味での、人生の幸福を願わずにはいられません。
ですが、祈るということ自体が、現代では霊的に危険な時代になってしまいました。
悲しい現実です。
動画「死後の世界 守護霊に祈ると下の世界に行く?」を参照ください。
by こま
祈る事すら危険な環境って酷い世の中ですよね~(´・ω・`)
せめて祈れば補助霊に届くくらいの環境になって欲しいです。
田舎道を歩くのは気持ちいいですよね(^^)
虹を見れば、思わず見てしまう人は多いと思います。昔ならば、素朴な信仰心は救われたと思いますが、現代はそれすらも危険なのかも知れません。
先ずは、水波霊魂学を知ってほしいです。
その方の信仰心が本物であれば高級な幽気を求めて、いずれ契山館まで来られるかもしれません。
綺麗な虹のお写真、ありがとうございます。大きな虹なのが伝わってきます!(^^)
昔であれば、真摯な祈りは高級な霊魂方に届くこともあったそうですが・・・。現代の幽気の質の低さは、人間史上これまでなかったほど酷いとのことで、多くの方が幽体のトレーニングに励むような状況がくることを願うばかりです。
素晴らしい虹ですね。
その方も思わず手を合わせたくなるような、神々しさのような、何か神秘的なものを感じられたのかもしれませんね。
神様に祈るという事は、本来、人間としては、ごく自然な行為だとも思えるのですが、それさえ危険な行為になりかねないという現状は、何とか変えていかなければならないと、改めて決意させられます。