《神伝の法》が必要な時代

私が《契山館》を知ったのは、6年半ほど前に、インターネットで書籍が出版されている事を知って、読み始めた事がきっかけでした。

1冊読んだら、「もっと読みたい、もっと知りたい」との思いが抑え難くなり、1ヶ月弱の間に、当時出版されていた20冊ほどを、一気に読んでしまいました。

しかし、いくら考えても理解が出来ない点があったので、すぐに入会するには到りませんでした。

幽質界(死後の世界)において入る階層を決める基準が、幽体(肉体と重なっている霊的身体)の状態であるという点は、「なるほど」と理解出来ました。

善悪や愛の深さが、幽質界(死後の世界)で入る階層を決める基準にはならないと言うことも、最初は驚きましたが、冷静に考察してみれば、「もっともだ」と思えるようになりました。

善悪の基準は、この世の人間が決めたものですから、時代や地域、信仰する宗教等によって、全く異なるものです。そのような人間によって作られた曖昧な基準によって、死後に入る幽質界における階層が決まるのは変です。

また、この世の人間は、肉体を維持するための、自己保存本能から離れられないために、愛は限定的にしか表現出来ません。

いくら〈無償の愛・神の愛〉等と謳ってみたところで、この世で実践出来る人は居ません。

実践不可能な事を、出来ていると錯覚するのは怖いことです。従って、そのような基準が存在するはずはありません。

ただ私は、善悪や愛の深さが、幽質界での階層を決める基準ではなくても、宗教教義を学び、善行・愛行・反省行等を実践すれば人格が高まり、人格が高まれば、霊的な意識も連動して高まる・・・。

すなわち、善行・愛行・反省行そのものは、基準になり得なくても、それらの実践によって人格が高まれば、当然、幽体も成長すると信じていたのです。

実際、当時の私は大きな悩みもなく、心に透明感があって、幸福感も高いと感じていました。

宗教的な団体の組織や人には疑問を感じて、距離を取っていましたが、基本的には、それまでに歩んできた道を、歩み続ければ良いと思っていたのです。

ただ、「もっと学べる事があるのなら学びたい」との思いがあったので、検索していて《契山館》を知ったわけです。

ですから、もし《契山館》の主張が、私のそれまでの経験の延長線上にあったのであれば、私はすぐに入会したでしょう。

ところが《契山館》では、幽体を健全化し成長させるためには、《神伝の法》という特別な霊的修行法を、実習する必要があるとされていたのです。

そしてそのためには、それまでに数十年間、学んだり実践を続けてきた事を、捨て去る必要がありました。

それでも、《契山館》の主張の方が正しいとの確信が得られれば、私は迷わず《契山館》に入会して、《神伝の法》の修行の指導を受け始めようと思っていました。

ところが、「《神伝の法》を実習する以外には、本当に幽体を成長させる方法がないのか?」「本当に今のままでは駄目なのか?」「今、感じている心の透明感や幸福感は、脳内の安らぎに過ぎず、霊的な成長とは無関係の錯覚なのか?」等々、いくら考えても結論が出せませんでした。

今にして思えば、肉体の脳には、霊的な事に関する判断材料も、判断能力もないと考えられますから、結論が出せなくて当然だったのでしょう。

そこで、これ以上考えても無駄だと考えた私は、当時の一般会員(現在の準会員)として入会し、《支部集会》等の行事や、《霊的調査》を受けてみようと決心したのです。

《支部集会》は、入会前でも1回だけ見学が可能でしたが、複数箇所の集会を体験してみたかったのと、《霊的調査》も受けてみたかったので、会員となることを選びました。

そして入会後、すぐに〈その時〉が訪れました。

入会直後に受けた、遠隔による《霊的調査(霊的状態等の調査、過去世調査、守護霊調査等)》によって、幽体に関するいくつかの不調を指摘された私は、すぐに《霊的技術(霊術)》による幽体の状態の改善をお願いしたのです。

その時に、私は今までに感じたことのない何かが、自分自身の中で動いたり、刺激を受けた感じがしたのです。

そして、「これが幽体の感覚かもしれない。そうだとすれば、今まで霊的意識・霊的身体だと思っていたものは、肉体の脳内のものだった。どうやら《契山館》の主張は真実らしい」と感じたのです。

そして、その半月ほど後に、《支部集会》 に参加した時のことです。その会場の空間は、考えられないほど《高級な幽気(霊的な気の1種)》に満たされていると実感することになりました。「今まで、この空間を求めて生きてきたのだ」との思いが込み上げてきました。

もはや疑いようがなくなった私は、《契山館》の主張こそが真実だと確信し、すぐに《神伝の法》の合宿研修会への参加資格が得られる、修行会員(現在の一般会員)への会員種別変更を申し込みました。

あの時、《契山館》の行事等を体験してみようとして、本当に良かったと思っています。そうでなかったら、今でも結論が出せずに迷い続けていたことでしょう。

入会後の《神伝の法》の合宿研修会等での、衝撃と感動の連続につきましては、何度も投稿させて頂いている通りです。

その本質を言語化するのは不可能ですが、あえて例えれば、6年半前まで平屋だと思っていた住まいが、実は50階建ての高層ビルだったことに気付いたかのようです。

しかもこのビルは、まだまだ上に続いているようで、本当は100階建てなのか200階建てなのか、いや500階建てなのか1000階建てなのか・・・、見当も付きません。

本ブログをお読みの方の中にも、《契山館》の主張が真実であるとの確信が持てずに、迷われている方がおられるかもしれません。

しかし、いくら迷っても、やはり肉体の脳には、霊的な判断をする能力はないと思います。

迷っておられるなら、ぜひ、体験出来ることから、《契山館》を体験してみて頂きたいと、心より願っております。

真摯に霊的な真実を求めておられる方なら、きっと何らかの答えを見出だす事が可能なはずだと思います。

霊的環境が、現代ほど劣悪ではなかった数十年前までなら、他にも方法があったのかもしれません。

しかし、現代では《神伝の法》こそが、幽体を安全確実に健全化させ、死後に幽質界の下層に落ちるという最悪の事態を防ぐための、唯一の方法だというのが、私の得た実感です。

尚、本文中で《霊的技術(霊術)》について触れていますが、入会後、《神伝の法》の合宿研修会に参加するまでの間の方や、小学生以下の方、入院中等の事情で合宿研修会に参加出来ない方等は、《霊的技術(霊術)》を受けて、幽体の状態を改善する事も可能です。

byなおいー

☆✉  メールフォーム  ✉☆

 

《神伝の法》が必要な時代」への3件のフィードバック

  1. 合宿などの体験は、言葉ではなかなか伝えられないですよね~。
    ぜひ体験して欲しいです(`・ω・´)

  2. 今まで信じて来たことに疑問を感じても、それを受け入れ、違う道に行くのは非常に勇気がいることだと思います。難しいことは考えなくても、純粋な信仰心で契山館の門を叩けば、道は開かれます。

  3. 霊的な身体に霊的に高級・高貴な刺激を得ると、今まで感じたことのない満足感を感じる方が多いようです。
    自分で実践して、得た経験は、やはり、一番説得力がありますよね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です