先日、ある方のブログの記事に目を通したら、ご自身の〈運の悪さ〉を盛んに嘆いておられました。
何でも、頻繁に病気になったり、怪我をしたり、人間関係のトラブルも後を絶たないのだそうです。
この記事の方とは面識はありませんが、私の知人にも、いつも「運が悪い」と嘆いている人が居ましたから、自分自身の事を〈運が悪い〉と思っている方は、少なくないのかもしれません。
ただ、一般的には運が良い悪いの定義が、はっきりしているわけではありませんし、ご自身の思い込みという可能性もあるかもしれません。
実際のところ、私達が〈運〉と認識していることに、霊的な存在の関与が、どの程度あるのかは私には分かりません。
もしかしたら、〈運が良い〉人には《守護霊・指導霊》のような《高級な霊魂》の関与があって、〈運が悪い〉人には、いわゆる悪霊の関与があると、お考えの方がおられるかもしれません。
確かに、冒頭の方のように、病気や怪我などの予期せぬトラブルが続くような時には、不道徳な霊魂の干渉を受けている可能性はあると考えられます。
その原因は、《幽気》や《間気》という霊的な気や、《幽体》という霊的身体に生じたトラブルや不調にあると考えられます。
しかし、この世的に得をしたり・願望が叶うことなどを〈運が良い〉と安易に考えるべきではないと思います。
なぜなら、私達の霊的な成長をのみ願っておられる、《守護霊・指導霊》などの《高級な霊魂》の皆様が、この世的な願望実現のために働かれることは、絶対にないと考えられるからです。
この世的な願望が叶って、幸運だと思えるような時には、私達はむしろ用心し、警戒するべきでしょう。
自称守護霊(本性は未熟な霊魂)の影響を受けた結果で、後で、とんでもないしっぺ返しが待ち構えているかもしれないからです。
また、何よりも注意が必要なのは、運を好転させようとして、安易に神仏や守護霊・指導霊にすがったり、霊能力者を頼ろうしないことです。
運が良かろうが悪かろうが、私達が最優先で行うべきは、私達の霊的身体である《幽体》を健全化させて、《幽体》が強い《幽体オーラ》を放つようにすることです。
そうすれば、私達の《幽体》は、《守護霊・指導霊》の皆様の視界に入り、その指導を受けることが可能になります。
《幽体》が不健全のままでは、何を行っても、近付けるのは同じように幽体が不健全な、未熟な霊魂のみです。
そして、忘れてはいけないのは、《幽体》が健全で強い《幽体オーラ》を放ち、《守護霊・指導霊》の視界に入り、その指導を受けていた方は、肉体の死後、幸福に満ちた上の世界へと入るということです。
逆に《幽体》が不健全で、未熟な霊魂に近付かれていた方は、死後は苦しみに満ちた、下の世界へと落ちてしまうのです。
この世的に、いくら幸福に恵まれて幸せだと思えても、それは数十年のことにすぎません。
その後、幽質界(死後の世界)で下の階層に落ちて、何百年も何千年もの間、塗炭の苦しみに喘ぐのでは困るのです。
それにもかかわらず、現代において、《幽体》を安全確実に健全化させるための方法は限られています。
現実として、《契山館》で指導されている《神伝の法》という霊的トレーニング法以外には存在しません。
そのような意味において、現代のこの世を生きる私達にとって、最も〈運が良い〉ことは、《神伝の法》と出会い、それを習得する機会を持つことです。
逆に、最も〈運が悪い〉ことは、《神伝の法》と出会う機会を逸すること、または、せっかく出会っても、それを受け入れて習得する機会を持たず、無視してしまうことだと思います。
ぜひ、皆様にも、現代最高の《幸運》を掴んで頂きたいと願っております。
byなおいー
龍にお願いすると運気が良くなるとか、運を良くする方法であれば、書籍も動画も人気があるようですね。
本当に人間に大切なことは何なのか、真摯に考える必要があると思います。
高級な霊魂方は、死後の世界の存在なので、
基本的に死後の世界での幸福しか叶えていただけないです。
でも、幽体が未熟で見えないと、死後の幸福を望んでもどうにもならないです。
一般的に運が良い悪いと言われることは、金運、仕事運、恋愛運、健康運と、この世的なことばかりだと思います。ところが、霊的に本当のことを知ると、人間は元は幽質界の存在であり、あえて不自由を求めて地上に降りたとのことです。であれば、死後のことも視野に入れなければいけません。運が悪いと嘆くのならば、契山館の門を叩いて見て下さい。最強の運の良さは、なおいーさんのおっしゃる通り、神伝の法と出会えることだと思います。
《幽体》は霊的身体なので、死後の活動をする為の身体です。
ですが《間気》によって肉体と接着しています。
その為、この世に生きている内も肉体と一緒に活動しています。
接着して重なっているので幽体の好不調が肉体にも影響する事があるそうです。