宗教で人は救われるのか?

現代を生きている私達は、宗教やその類似団体の教義や理論を学び、実践する事によって救われるのでしょうか?

結論から申し上げれば、私の経験上、救われる事はなさそうです。

私は《契山館》と出会う前に、伝統的な宗教、新興宗教、そしてスピリチュアリズムと、いくつもの宗教やその類似団体で理論を学び、実践を続けてきました。

私が最も苦しかったのは10代後半の数年間でしたが、その時は、ある宗教理論によって心の平安を得る事が出来ました。

その後数十年間、いくつかの宗教団体やスピリチュアリズムの世界に身を置きましたが、基本的に心の平安は維持されていましたし、大きな悩み事もなく、それなりに幸福であったと思います。

けれども、心のどこかには、いつも満たされない思いがあり、どこかに求めている何かがあるような気がして、その何かを探し続けていました。

そして、6年ほど前の2017年の初頭に《契山館》の存在を知り、《契山館》にこそ、私が求めていたものがあったことに気付きました。

私が求めていたものは、どうやら《高級な幽気》(霊的な気の一種)であったようで、《契山館》は現在この世で唯一、この世に《高級な幽気》を降ろすことが可能な団体であったのでした。

この世で生きている人間は、誰でも肉体の他に、《幽体》という霊的身体を所持しているそうです。

《幽体》は物質ではないので、酸素や食物を必要としてはいません。

けれども、《幽体》にも必要なものがあります。それが《高級な幽気》なのです。

《高級な幽気》を吸収する機会が失われると、私達の《幽体》は活力を失い不健康になってしまいます。たとえて言えば、《幽体》が栄養失調になるようなものです。

ですから、《高級な幽気》を吸収することは、私達にとっては欠かすことの出来ない最重要事なのです。

ところが現代は、この世を取り巻く霊的環境が劣悪なので、特別な儀式や修行法がある《契山館》以外には、《高級な幽気》を降ろせる場所がないのが現実なのだそうです。

そして大問題なのは、《幽体》が不健康なままでは、死後に入る《幽質界》において、幸せな世界には入ることが出来ずに、下方の苦しみに満ちた世界へと、落ちてしまうことになる事なのです。

この世で心が平安であっても、幸福であっても、さらには善意に満ちた人格者になれても、それらは全て肉体の脳内の事で、《幽体》の健康状態には直接関係がありません。

いくら肉体の脳が幸福感で満たされていても、《高級な幽気》の不足した不健全な《幽体》が、健康を取り戻す事はないのです。

私の経験から言っても、宗教等の理論やその実践によって、心が平安を得たり、幸福感が高まる事はあるでしょう。それはこの世においては、価値がある事かもしれません。

しかし、宗教の本来の目的は、この世の長くても100年の人生を、幸福に生きるためだけではないと思います。

やはり宗教には、肉体の死後に《幽体》で入る《幽質界》において、苦しみに満ちた世界へ落ちることを防止し、健全な《幽体》の所持者が集う、幸せな世界へと入るための方法を指導することこそが求められるはずです。

なぜならば、それこそが宗教に求められる、本来の《救い》だと考えられるからです。

すなわちそれは、《高級な幽気》を吸収し、《幽体》を健全化させるための、安全確実な方法を持つ宗教こそが求められているということです。

そして、《契山館》には、そのための《神伝の法》が存在すると言うことです。

私が《契山館》と出会って《神伝の法》の実習を始めてから、どのように変わったかについては、言語化するのは非常に困難です。

ただそれは、変化が小さいからではありません。おそらく、肉体の脳が直接感知出来ない部分の変化が多すぎて、とても言葉にならないのだと思います。

あえて言えば、《契山館》と出会う前の私は、氷山の水面下の意識には蓋をして、水面上に出た僅か数パーセントの意識で、心の平安とか心の成長等と言っては、表面の雰囲気に酔っていただけだったかのようです。

どうか一人でも多くの方に、一日でも早く、本物の救いへと手を伸ばして頂きたいと願っております。

byなおいー

☆✉  メールフォーム  ✉☆

 

宗教で人は救われるのか?」への3件のフィードバック

  1. 私も、契山館に入会する前に2団体経験しましたが、いつも何か物足りなさがありました。なおいーさんの記事を読んで、初めて集会に参加したときの「安心感」を思い出しました。

    記事の最後の7行は、とても良く分かります。

  2. 宗教って、本来は、神や仏のお役に立つ為とか、死後に天国に行く、地獄に行かない為のものですよね?
    それが、最近では、人々の為とか。人々って基本的に物欲しかないので、人々の物欲の為とか。
    愛の心がどうの、感謝の心でとか、難しい哲学で自己満足しているだけで、
    一番肝心な死後の幸福を求める事からズレています。
    ぜひ契山館で、本物の宗教を知って欲しいです。

  3. 多くの人が死後の世界をお話の世界としてしまっている現代では、宗教の存在意義は小さくなってしまっているように思いますが、本記事にあります通り、高級な幽気を吸収しない限り、人間が本当の意味で幸せになることはありません。宗教心は大切なのでした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です