私が今仕事をしている現場の道向こうの家から、いつもお爺さんの苦しそうな咳が聞こえてきます。
その現場は忙しく、現場の都合や天候に振り回され日曜日もやらざるを得ず、近所迷惑では無いかと心配していたのですが、ある日、庭に出ていたそのお爺さんであろう人と目が合いました。
私は気まずいと思いながらも、元気良く「こんにちは!」と挨拶をすると、そのお爺さんは羨ましそうな表情を浮かべ、少し強めの口調で「仕事が楽しいだろう!?」と返事を返してきました。
人生の歴史が刻まれているその顔からは、若い頃はバリバリに仕事をしていたのだろうと想像できました。
おそらくですが、そのお爺さんは日曜も休まず仕事をしている私に、若い頃の自分を重ねていたのかもしれません。
私が挨拶をしたのをきっかっけに、何かの感情がこみ上げたのかもしれません。
正直私は仕事は好きではありません。出来れば楽をしたい人間です。
その後ろめたさから、私はお爺さんの強い口調に一瞬ためらってしまい、「天気が心配で!」と噛み合わない返事をしてしまいました。
良く聞き取れなかったのですが、お爺さんは何かエールのような言葉を叫んでました。
その後も毎日苦しそうな咳が聞こえます。
お爺さんには失礼ですが、順番から行けば私より先にあの世に旅立つのでしょう。
挨拶一つ交わしただけの他人ですが、そのお爺さんに「水波霊魂学」と「神伝の法」の話しが出来て、それを実践してもらい、「安心してあの世に旅立って欲しいなぁ」と、あり得ない妄想をした今日この頃でした。
Byガンリキ
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みんな、そのうち死後の世界に行くんですもんね~。
しかも上下高低のある死後の世界に。
なんとか、上の世界に入って欲しいですよね~。
でも今のままだと、一般の人はなかなか上の世界には入れないだろうから、霊的トレーニングを行って欲しいです(´・人・`)
記憶の中の自分はとても輝いているのに、ドンドンできることは小さく、少なくなっていく。時の流れは本当に残酷です。
ですが、肉の老化、障害、あらゆる不具合の苦しむ方々には、どんなにお苦しみがあろうと、どうか絶望されないでいて頂きたいと思います。
例えば認知症など脳の老化に悩んでおられる方、どうかそのお苦しみから、ご自分とは何かを考えるキッカケにしていただければ、何よりの救いに繋がる可能性があります。
できることは小さくなる、でも、それで苦しんでいる自分は何一つ変わらない。
この自分とは何か?
肉の身で表現される自分が全てなのか?
違うのではないか?
苦しみがあるからこそ、見えてくることがあるのではないでしょうか。
以前私は、日本で亡くなる方の、およその人数を調べたことがあります。
年間-約130万人
ということは・・・
月間-約10万8千人
1日-約3千6百人
1時間-約150人
1分-約2.5人
・・・くらいのようです。
私にとっては、衝撃的な数字でした。しばし放心状態になりました。
その中で、《幽体》が健全で、上の世界に入れる方は、どれくらいおられるのでしょうか?
ほとんどおられないとしたら、皆さん、どうなってしまっているのでしょうか?
今日も3千6百人、明日も3千6百人・・・。
今、この瞬間にもお1人、二十数秒後には、またお1人・・・。
日本だけでこの人数です。地球全体では、一体、どれだけの方が・・・・。
その現実を直視すると、何かを為さなければとの思いばかりが募ります。しかし、あまりにも微力過ぎて、ほとんど何も出来ないことが無念です。
年配の人を見ると、霊魂学を知って欲しいなと思う気持ちはよく分かります。
ガンリキさんは実際に話す想像までされているとは!
そのままでは不幸になる可能性が高いのは分かっているのに、自分が何かできるわけでもないしと…ただただ諦めるだけです。本当に難しいですね。
思い通りにならない不自由を感じる事が「幽体」で生きていた名残なのでしょうかね。
肉体はいずれ弱くなってしまいますし。