伝統的な仏教の習慣に〈お盆〉というものがありますから、この時期になると先祖供養に関して、お考えになる方もおられるのではないでしょうか?
そこで今回は、先祖供養に関して、あまり深入りしない範囲で述べさせて頂こうと思います。
まず、大原則を申し上げますと、私達が、通常、行い得る伝統的な先祖供養に、故人や先祖を幸せにする力はないようです。
すなわち、葬儀や回忌などの法要や、読経などを行うかどうかによって、故人や先祖の幸不幸が左右されるわけではありません。
言い換えれば、それらを行うことによって、故人や先祖が成仏するわけではありませんし、行わなかったから成仏出来ない、などということもありません。
故人や先祖の幸不幸を決めるのは、ご本人の《幽体》の状態、すなわち、《幽体》がどれだけ健全で活力があり、強い《幽体オーラ》を放っているかどうかなのです。
そして不幸にして、その方(故人)の《幽体》が不健全で活力がないために、《下層の幽質界》へ落ちて、たいへん苦しい状況下に置かれているとしても、通常、私達が行う供養には、その方の《幽体》の状態を改善させるような力はないのです。
《下層の幽質界》に落ちた霊魂の救済は、そのための活動を続けておられる、《指導霊》や《補助霊》の方々にとっても、困難を極めるそうです。
それほど困難なことが、私達、この世の人間に行えるはずがありません。
現代の霊的環境は、放っておけば、《幽体》が不健全となり、活力が失われてしまうような劣悪な状況です。
ですから私達は、この世で生きているうちに、《神伝の法》の《霊的トレーニング》を行って、《幽体》を鍛え、健全で活力があり、強い《幽体オーラ》を放つ状態にしておく必要があると、繰り返し申し上げているわけです。
そして、お墓や仏壇には、先祖の《霊魂》はおられません。
お墓や仏壇に《霊魂》が居るとすれば、それは私達に悪戯をして怖がらせたり、不幸にすることを楽しみにしているような、不道徳な霊魂です。
不道徳な霊魂にしてみれば、悪戯をしても気付いて貰えなければ面白くありません。
通常は、何かの不幸に見舞われても、それが不道徳な霊魂の仕業だと考える方は少ないでしょう。
しかし、お墓や仏壇に関わることで何かが起きると、「先祖供養が足りないのでは?」などと、霊魂の関与を疑う方がおられるので、不道徳な霊魂にしてみれば、悪戯に気付いて貰いやすく、悪戯のやり甲斐があるのでしょう。
ただし実際に、先祖の中に、「先祖供養が大切だ」との思いが強い方がおられると、子孫の様子を見る機会があった時に、「先祖供養が不十分なのはけしからん」として、霊的な障害を引き起こすようなケースはあるようです。
また、私達に先祖の《霊魂》を幸せにする力がないように、通常は先祖の《霊魂》にも、私達を幸せにする力はありません。
ですから、間違っても墓や仏壇で、先祖の《霊魂》に救いを求めたりするべきではありません。
墓や仏壇で、悪戯をするためのカモを待ち構えている不道徳な霊魂に、救いを求めたりしたら、どのような事態を招くことになるのか、結果は火を見るより明らかでしょう。
それは、不道徳な霊魂に、「悪戯をして不幸にして下さい」、と頼むようなものなのかもしれません。
繰り返しになりますが、墓や仏壇には、先祖の霊魂はおられません。
また、《守護霊》でも《指導霊》でもない先祖の霊魂には、私達を護ったり助けたりする力はありません。
そして、《守護霊》や《指導霊》は、私達の《幽体》が健全で活力があり、《強い幽体オーラ》が出ていないと、何も出来ないのです。
いずれにしましても、私達に出来ることは、やはり《神伝の法》の《霊的トレーニング》を行って、《幽体》を鍛えて、《幽体オーラ》を輝かせておくことだと思います。
私達の《幽体オーラ》が輝いていれば、私達に悪戯をしようとするような不道徳な霊魂は遠ざけることが出来ます。
そして、私達を霊的に正しい方向、言い換えれば、本当に幸せな方向に導いて下さる、《守護霊》や《指導霊》の方々の視界に入りやすくなって、その指導が受けられるようになります。
私達を、真の意味での幸福へと導いて下さるのは、先祖ではなく、そのための技量をお持ちの《高級霊魂》である、《守護霊》《指導霊》の方々なのです。
先祖供養とは、この世の人間が幸せになるために行うものではないわけです。
以上のように、先祖供養に関する霊的な真実というものも、一般的な常識とは異なっている部分があるようです。
残念ながら、先祖供養に関しての一般的な常識には、霊的な意味はないようです。
しかし、この世に残された家族や子孫のためには、必要な面もあると言えそうです。
また、あえて一般的な常識を否定して、争いの種子を蒔くことは避けたいものです。
たとえ霊的な意味はなくても、あまり気にせず、昔からの伝統を重んじて、形式として行っておけば良いと言えそうです。
波風が立って争いが起きれば、私達の《幽体》意識から、強い攻撃的な念が出てしまい、お互いの《幽体》を傷付け合うことになりかねません。
その結果、喜ぶのは不道徳な霊魂だけ、などという事態は、何としても避けたいものです。
詳しくは、アマゾンでkindle(電子書籍)版とペーパーバック(紙の書籍)版が販売中の、《水波一郎先生》著、『これまで知らなかった霊魂の真実』第4章の『2 葬式は意味がありますか?』や、現在のところ、ペーパーバック版のみの出版になっていますが、『霊魂に聞く』の『第8章 この世で霊魂が起こす現象』のQ7・Q8、同じく『霊魂に聞くⅡ』の『第3章 仏教』のQ11などを、お読み頂きたいと思います。
byなおいー
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「先祖供養とは、この世の人間が幸せになるために行うものではないわけです。」
なおいーさんの仰る通りだと思います。
不幸があると、何かにつけ「先祖の供養が足りない」と仰る方が居ますが、逆に供養が足りないからと言って悪い現象を起こそうとする先祖はいかがなものでしょう?
一体どのような供養が必要なのか、物質ではない幽界に暮らしている先祖に、どのような供養をすれば満足をしていただけるのか?
食べなくても生きてゆける世界に物質の食べ物を供える意味は何なのか?
線香がどのような意味をもたらすのか?
お経を上げても、地上で生きていた時ですら意味が分からないものを読んで聞かせて、
果たして本当にありがたがっているのでしょうか?
戒名の違いで何が変わるのか?
仮にそう言った十分な供養をしたとして、それで子孫に良いことがあるというのは取引ではないのか?
生きていれば、いろいろ辛いことがあります。
投げ出したくなることは、皆同じだと思います
心が追い詰められた時に、存在するかどうか分からない神様ではなく、身近に感じられる先祖に何かをお願いしたくなる気持ちは誰にでもあるかと思いますが、それならば、本当の供養を勉強した方が良いと思います。
もちろん、願いを叶えてもらうためではありません。
それには、先祖達が幽界で使用している身体、「幽体」を知るべきです。
地上でも、不幸をもたらす真の原因は、食べなければ生きて行けない身体、「肉体」にありました。
あの世でも同じです。
幸不幸の原因は、あの世で使用する「幽体」にあるのです。
騙されたくなければ、霊魂学を知ってください!(´・人・`)
法則を知っていれば、綺麗事に騙されないようになれますよ(*≧∇≦)b
先祖供養については、もしも何かあったらどうしようと悩んでしまう方も多いと思います。水波霊魂学を学べば、本当の供養とは何か、霊魂の実情を知ることができるので悩む必要がなくなります!
お盆で、故人を偲ばれて切ないお気持ちの方もいらっしゃることでしょう。
残されたご遺族にとっては、悲しみを癒すのに、仏壇で故人を思うことも大切な時間だろうと思いますが、だからといっていくらお経をあげてみても、それで亡くなったご本人が幸せになるわけではないそうです。
なおいーさんの記事にありますように、まずはご自分の幽体を成長させることが何より大切とのことです。