アマゾンで販売中の《水波一郎先生》著、《二本足の霊魂》によりますと、人間はその昔、《幽質界》と呼ばれる霊的世界の住人であったそうです。
《幽質界》では《幽質》で出来た《幽体》という霊的身体で生活していたのですが、その《幽体》は、胴体に2本ずつの手と足が付いて、その上に頭が乗り、顔には目・鼻・口が付いている、という形態ではなかったそうです。
ところが、人間の《霊魂》の一部が、ある時、物質で出来た肉体に宿り、物質界へ生まれて来るようになったようです。
物質界では、《幽体》と肉体が重なった状態で生きるわけですが、《幽体》には寿命がなく死もないのに対して、肉体は遅かれ早かれ死を迎えますので、肉体が死んだ後は、《幽体》のみで《幽質界》へと戻ることになります。
このようにして、物質界へ生まれることを選択した私達は、《幽質界》でも二本足の形態で存在するようになり、《幽質界》と物質界の間を行ったり来たりするようになったそうです。
その結果、《幽質界》では、同じ人間であっても、物質界を経験した二本足の形態の《霊魂》と、そうではない形態の《霊魂》が存在するそうです。
このあたりの詳しい内容は、ぜひ、《二本足の霊魂》をお読み下さい。
さて、今回、私が申し上げたいのは、人間は一人の例外もなく、全員が霊的存在であるということです。
私達の存在は、何十年か前に赤ちゃんとして、この世に誕生した時に始まった訳ではありません。
その時に生まれたのは肉体のみであって、肉体と重なっている《幽体》や、もっと大きな霊的意識は、ずっと以前に誕生していて、その一部が何度も物質界に再生しています。
すなわち、私達には、いくつもの過去世の記憶が潜在しているのです。
世の中には、唯物論とか無神論を標榜される方がおられます。
しかし、物質のみで出来た人間など、一人も存在しませんし、本質的な意味で《神》と無関係の人間も存在しません。(但し、《神》はあまりにも偉大で遠い存在ですので、直接的には人間とは無関係です。)
私達の潜在された意識の中には、《幽質界》で《霊魂》として存在していた時の、霊的生命体としての記憶が、確かにあるはずなのです。
本来、霊的な存在である人間が、霊的な真実を求めるのは当然で、人間は物質のみでは生きられないのが、真実の姿だと思います。
そして、その記憶が、どの程度蘇ってくるかは、この世で生まれ育った環境や、人生経験などによって、変わってくるのではないか、と個人的には思っています。
私の場合は、人生の早い時期に、死というものを意識したために、死後の世界や霊的世界の存在を意識せざるを得なくなり、その結果、《神仏》や高貴な存在、高級なパワーなどへの憧れを強めることが出来たようです。
その憧れは、特別なものではなく、人間なら誰でも持ち合わせているもので、何かのきっかけで、表面に現れてくる時を待っているに違いない、と私は思っています。
そして私は、そのきっかけを経て、高級な存在を求めている方は、数多くおられるものと推測しています。
私の願いは、そのような皆様に、一日も早く、《契山館》の存在に気付いて頂きたいということです。
《契山館》には、霊的生命体である、私達人間が求めるべき、全てのものがあります。
私は、自身の中の憧れに気付いてから、40年近くにわたって真実を求めてきました。本物を求めてきました。
いくつもの宗教で学び、スピリチュアリズムも学びました。有名な指導者の門も叩きました。全国の神社仏閣巡りやパワースポット巡りもしました。
何となく、その雰囲気が感じられることはありました。しかし、結局、私が満たされることはなく、私が求めているものではない、と思い知らされることの連続でした。
そのような私が、半ば諦めかけていた中で、ようやく出会うことが出来たのが《契山館》なのです。
《契山館》には、私が憧れ追い求めていたものを、遥かに超えたものがあります。遥かに超えすぎていて、どれくらい超えているのかは見当も付きません。
私が今後、全力で求めても、その10パーセントを吸収するのも困難だろう、と思わせるだけのものがあります。
その『もの』が何なのか?それを説明する言葉を、私は一語も持ち合わせてはいません。どんなに言葉を費やしても、表現することが出来ません。
ぜひ、皆様ご自身で、《水波霊魂学》を学ばれ、《神伝の法》の《霊的トレーニング》を習得されて、実感して頂きたいと願っております。
《契山館》では、各地で定期的に行われている《支部集会・分会集会》の見学も受け付けております。
開催日時等は、お近くの支部・分会へお問い合わせ下さい。
《契山館》では、強引な勧誘等は一切行っておりませんし、入会後の退会も自由な団体ですので、ご心配なく、お問い合わせ下さい。
byなおいー
♬♪ お近くの支部集会へ、ご見学に来ませんか? ♪♬
日々の生活に追われていますと、霊的な事など考えもしない方が多いと思います。ですが、そういう方も、幽体が重なって生きているのです。
と言う事は、どう否定しても現実に霊的生命体なのです。
信じるかどうかはそれぞれですが、人間と言う存在の一番初めを知ると、今どう生きるべきかの答えが見えてくると思います。
『本物』は凄いですよ~!(´∀`人)
僕は大体、なんでも過度に期待して、がっかりしていたんですけど、契山館は、必ず僕の期待の上を行きます。
『本物』は上限がないんじゃないか?と思うくらい、もの凄いですよ!(*≧∇≦)b
本物…、本当にすごいですよね。
水波霊魂学に出会えたことがあまりにも幸運過ぎて、時々恐ろしくなります。(*´ω`)
私も含めてですが今、地球上に生きている全ての人間は大きな勘違いとあやまちから肉体を纏う物質の世界に降りてしまった霊魂の末裔です。
間違いを無かったことには出来ませんが正しい道に戻ることは出来ます。
その為の《神伝の法》であり《霊的トレーニング》なのです。
誰もが救われますが誰でも救えるものではありません。
自らの意志と行動によってのみ本物だと理解出来るのです。門戸は広く誰でも入れますが己れの脚で歩を進めたどり着いて来た者しか中には入れません。
本物であるが故に無理矢理、強制することは何人たりとも出来ないのです。