イタリアこぼれ話(その30)「イタリアのタクシーのドア」

今回はイタリアのタクシーのドアのお話です。

ご存知の方も多いかもしれませんが、イタリアを含めた欧米諸国では、通常、タクシーのドアが自動で開閉するということはありません。

現状には疎いですが、少なくとも20~30年前のイタリアには、自動ドアのタクシーは、一台もなかったと思います。

欧米以外の地域の事情は、未確認ですが、きっと自動ドアのタクシーが普及している国は少ないでしょう。

日本では、タクシーのドアが自動で開くのが当たり前なので、イタリアでタクシーに乗る時には、よほど意識しないと、ドアの前で数秒間立ち尽くしてから、「あれっ、あっ、そうだった」と手で開ける事になります。

そして、乗り込んだら、ドアを自分で閉めないと、いつになっても発車出来ません。

また目的地に着いても、ドアを自分で開けないと、降りることは出来ません。

そして、降りた後は、きちんとドアを閉めて、タクシーの降車完了となるわけです。

降りた後、ドアを閉めないで歩き出したら、多分、運転手さんの怒鳴り声と共に、強烈な念が飛んでくるでしょうが、さすがに、開けて閉めて開けて閉めてと4回目ですので、あまり閉め忘れる心配はないかもしれません。

私もイタリアで生活を始めた頃は、「ドア、ドア、ドア・・・」と、何度も念仏のように心で唱えてから、タクシーに乗車したものです(笑)。

たまに、日本から見えた知人などを、タクシーでご案内するような機会があったのですが、その際には「ドアを開けて下さい。」「閉めて下さい。」という、ご案内が欠かせませんでした。

やはり人間は、急に制度や常識が変わると、即座には対応が難しいものですね。

なお、イタリアには流しのタクシーはありません。

ですから、旅行中の場合には、ホテルやレストランなどで呼んでもらうか、街中にあるタクシー乗り場から、乗車する必要があります。

ドアを自分で開閉するというと、日本のタクシーよりも、サービスが悪いと思う方が、おられるかもしれませんが、一概にそうとも言えません。

例えばイタリアでは、スーツケースなどの大型の荷物を持って、乗り込もうとすると、運転手さんが「スーッ」と降りてきて、荷物を乗せるのを手伝ってくれるのが普通です。

日本では、そのようなケースは、あまり多くないような気がするのですが・・・。

やはり、そういったところの価値観にも、お国柄があるようです。

何が親切なのか不親切なのか、その世界共通の絶対的な基準など存在しません。

その曖昧で不確かな基準を基に、親切な人は善人なので天国へ入り、不親切な人は悪人なので地獄へ落ちる、等というようなことがあったら、たまりません。

まるで天国のような幸せな世界と、まるで地獄のような苦しみの世界を分ける基準が、善悪ではなく、《幽体》の成長の度合いであるとする《水波霊魂学》は、とても分かりやすく、納得しやすいと思います。

byなおいー

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イタリアこぼれ話(その30)「イタリアのタクシーのドア」」への3件のフィードバック

  1. 群馬県民は車ありきの生活ですし、私の場合、タクシーもあまり利用することがないので、おそらく何も知らずに自分で開け閉めしていると思います(^.^)

    私は日本以外には住めないような気がします(>_<)

  2. 所変わればですね、文化の違いは面白いです(^o^)
    イタリアのタクシーの常識を知らないと、随分恥ずかしい思いをしそうですが、死後の世界の文化の差は、記事にあります通り、知らないで入ると笑いごとでは済みませんので、一人でも多くの方に現実を知っていただきたいです。

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