私が育った環境には、日常的に西洋のクラシック音楽がありました。
そのためか、小学校に入学する前には、毎日レコードを聴いて・・まだCDはない時代でした・・名曲を鑑賞するのが日課になっていました。
小学校に入学後、ピアノのレッスンに通い始めたのですが、生来、指先が不器用で性格も愚鈍だったため、上達がおぼつかず、短期間で挫折しました。
その後、成長するにつれて、歌を歌うと声が出易いことに気付いたので、中学2年生の頃に変声期が終わると、声楽のレッスンを受けるようになりました。
しかし、あい変わらず愚鈍だった私は、音程を取るのにも、曲を覚えるのにも、あまりにも時間がかかってしまい、先へ進めず、やはり短期間で挫折してしまいました。
その後も何回か、声楽の勉強を再開しては挫折することを繰り返したのですが、20歳の頃に、愚鈍な私でも、平均的な人の数倍の時間をかければ、上達することが可能だと気付いたので、その後は40年近く勉強を継続し、現在に到っています。
さて、私の個人的な話が長くなってしまいましたが、これからが本題です。
前述のように、私には幼少の頃から、クラシック音楽を鑑賞する習慣があったのですが、高校生くらいからは、頻繁にコンサート会場等に出掛けて、生の音楽を鑑賞するようになりました。
特に20歳くらいからは、音楽の勉強に専念していたので、コンサート等に行くのも勉強の一環だと思っていました。
例えば、料理の勉強をする方にとって、料理を食べ歩くことが欠かせないように、音楽を勉強する者にとっては、音楽を聴き歩く事が欠かせなかったのです。
そのため、クラシック音楽の演奏会場で、音楽を聴いた回数は数え切れません。
ですから、《契山館》に入会してから、薄暗い会場の客席で、長時間、身体を動かさないで音楽を聴く、クラシック音楽の演奏会場の霊的な危険性(不道徳な霊魂に悪戯され易い)を知った時には、衝撃を受けました 。
思い返せば、会場で頭痛が始まったり、帰路、どっと疲れが出て、フラつきながら帰宅したようなことも、少なからずあったような気がします。
当時は、集中して音楽を聴いたから疲れたのだろう、としか思いませんでしたが、おそらく、それだけではなかったのでしょう。
結局、私の場合は、霊的に危険性の高い行為を、長期間、いくつも続けてしまっていたわけです。
いくつもの宗教やスピリチュアル系団体への所属、全国の神社・仏閣・パワースポット巡り、それにクラシック音楽会の聴き歩きですから、それはそれは酷い最悪の状況だったと思います。
何十年もかかってしまったとはいえ、こんな状況で、《契山館》に辿り着けたことは、奇跡的に運が良かったとしか思えません。
十中八九どころか、百中九十八九十九は、死後、下の世界へ直行で、終わりのない塗炭の苦しみに苛まれ続けることになっていても、おかしくなかったと思います。
今の時代、《契山館》に辿り着けなかった方の多くが、死後どうなってしまうのか・・・恐ろしくて悲しくて、想像しなくて済むのなら想像したくありません。
しかし、私にとっては、あまりにも身近で現実的な問題であっただけに、とても他人事として静観することは出来ません。
何と思われようと、ここ《契山館》にこそ、唯一の本物の救いがあるとの情報を、発信せざるを得ません。
どうか、本ブログをお読みの皆様の自由意思で、1日でも早く、真実の救いを求めて頂きたいと、心から願っております。
そして、《神伝の法》の実習により《幽体》を健全化させ、不道徳な霊魂の視界に入りにくくなる方が増えて、この世の霊的環境が良好になる日の到来を、待ち望みたいと思います。
そうなれば、クラシック音楽のコンサートにも、誰でも安心して足を運べる時代が訪れるのではないかと思えるのです。
byなおいー
愚鈍で不器用は私も同じですが、なおいーさんは、それでも自分の努力で音楽を極められたので凄いと思います。
私も、契山館に入会するまでの人生は思い出すだけでゾッとします。霊的な事には興味があったので色々やりましたが、高い確率でそれが原因の交通事故も経験しております。
一人でも多くの人に、一刻も早く本物を知っていただきたいです。
みんな幽体が光り輝いていれば、薄暗い場所でジーっとしていても大丈夫でしょうけどね~。
幽体を成長させて欲しいです(`・ω・´)
今回なおいーさんが記事にしてくださった通り、心から真摯に生きている方でさえ、いつ何時トラブルに巻き込まれても、全く不思議でないほどに、現代は霊的環境が悪い状況なのだそうです。
ですが、霊的トレーニングを行っていれば、憂いは確実に減らせますし、何かトラブルにあったとしても対処可能です。
まずは状況を知ることが大事です!