先日、親戚の三回忌に参列してきました。
法要が終わると、お坊さんも忙しいと見えて、足早に次ぎに行ってしまいました。
身内のお婆さんが小声で言いました。「ああ、これで一安心だ」私はそれを聞いてイラッとしてしまいました。
「いったい何が安心なのか?世間体なのだろう。それなら仕方ないが、こんな法要で故人が供養されたと思うのか?僧侶にそれが説明出来るのか?死んだ時の状況を思いだせば明らかに霊的な現実は厳しい。
水波霊魂学を知れば、『知らぬが仏』では済まされない。」
世の中の人は、あまりにも霊的現実を知らないし、知ろうともしないと、勝手に不機嫌になった1日でした。
byガンリキ
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本気で故人の事を思うなら、本気で調べて欲しいですよね。
本気で調べれば、契山館に辿り着くと思うし、霊的な真実も分かると思います(`・ω・´)
伝統的な宗教行事は、理性的に考えれば、疑問点が多いと思いますけど、1度慣習に染まってしまうと、そこで思考がストップしてしまうものなのかもしれません。
そういう意味では、宗教に疑問を感じて、宗教に否定的になってしまう方が多いのも、理解出来るような気もします。
しかし、《水波霊魂学》を知らず、《神伝の法》を知らないまま、宗教を否定してしまうのは、あまりにも早計で残念な事だと言わざるを得ません。
伝統的な宗教に疑問を感じたことがない方にも、既存の宗教に否定的な方にも、ぜひ、《水波霊魂学》に触れる機会を持って頂きたいと願っております。
故人を思う時間は、残された者には心の安息を与えてくれるかもしれません。しかし、死後の世界のことを知らないまま法要を行っても、マトを外しているだけです。
本当の「ご冥福」が、いかに成り立つものなのか、生きているうちに必ず知るべきです。水波霊魂学には答えが全てあります。