ある冬の日、上州空っ風の中で仕事をしていると、遠くでヒヨドリの鳴く声が聞こえてきました。
ヒヨドリの声を聞くといつも思い出す光景があります。
私は、子供の頃学校が嫌いだったので、時々仮病を使い学校を休みました。
仮病なので、調子の悪いフリをして布団で寝ていなければなりません。
布団の中では、学校を休めたと言う喜びの反面、何故か罪悪感もあり、色々な事を考えていると、いつも家の外からヒヨドリの鳴き声とか、あの独特なリズムの鳴き方をするキジバトの声が聞こえてきて、表現出来ない不思議な気持ちになった事を思い出すのです。
子供なので、その感覚がどう言うことなのか考えもしません。
水波一郎師の「幽体の悲劇」と言う本があります。その本を読んだ時、その時と同じようなことが書いてあり驚きました。いろいろ湧いてくる思いの中の一つの正体は、幽体の意識だったのです。
幽体は、今生きている自分と重なっていて、同じ経験をしている中、何かしら主張しているようです。
考えて見れば、人の心は何も考えないようにしても、次々と何かしら思いが湧いてきます。
自分を自己分析することで、もしかしたら、もう一人の自分「幽体」を実感できるかも知れません。
心理学ではいろいろ言うようですが、人間の心は簡単ではないようです。
ストレス社会、幽体の意識が悲鳴を上げているかも知れません。
自分の幽体は、今何を思い、何を主張しているのでしょうか?
もう一人の自分を知りたいとは思いませんか?
byガンリキ
こういう布団の中の出来事、誰しもあるんじゃないでしょうか。
お小さいガンリキさんが布団の中で困っている姿が浮かんできました(^o^)
このブログにいらっしゃった方には、是非幽体を知っていただきたいです。
私たちは肉体だけでない、幽体を併せ持つ存在です。
幽体を無視していては、自分の本当の姿を知ることはできません。
私も学校が大嫌いだったので、よく仮病を使いました。
昔の体温計は水銀式だったので、体温計を手で擦って、よく熱を出したことにしました(笑)。
あまり高熱だと、これもまた大嫌いだった病院へ連れて行かれてしまうので、発熱のコントロールが難しかったです。
色々な自分の心の声、確かにありますね。
考えてみると、《契山館》で《神伝の法》の霊的トレーニングを始めてから、湧いてくる思いの内容も、一部変わってきたような気がします。
もっとも、お腹が空けば何を食べようかという、肉体の声しか聞こえなくなるのは、仕方がないことですね。
仮病は、確かに嬉しいって感情以外に色々と出てきますよね。
ぜひ、『幽体の悲劇』を読んで欲しいです。