時々、《契山館》以外の宗教を信仰している方や、スピリチュアリズムを学んでいるという方等と、お話しすることがあります。
それらの方々からは、「他の宗教やスピリチュアリズムでも素晴らしい事を言っているのに、なぜ《契山館》以外ではダメなのかが分からない」、といったような疑問を提起される事が少なくありません。
その理由について、詳しくご説明しようとすれば、本ブログの記事には収まり切れないほどの長文となってしまいそうです。
そこで、分かりやすく一言で申し上げるとするならば、「《契山館》以外には《幽体》を健全化させるための《修行法》がないから」、ということであろうと私は理解しています。
現代の宗教等に求められるもの、それは第一に、肉体の死後に赴く《幽質界(死後の世界)》において、下層の苦しみに満ちた世界へ落ちないようにする事だと言えましょう。
それには何としても、この世で《幽体》が肉体と重なっているうちに、《幽体》の穢れを祓い損傷は修復し、健全化させて活力を高めておかなければならないのです。
ですから、《幽体》を健全化させるための、安全確実な《修行法》を持たない宗教等では、《幽質界》で下層に落ちないようにするという、宗教に求められる最大の目的を、達成する事が出来ないわけです。
たとえば、悪を捨て善を取るとか、利己的な愛を捨て利他愛に生きる、等の教えを実践する事は、この世においては有意義な事かもしれません。
決して、この世において悪行を為して良いとか、利己的に生きるべきだと言っているわけではありません。
しかし、善悪にせよ利己利他にせよ、全て肉体の脳に限定された物質界(この世)の中での基準であって、《幽質界》で入る世界を決める基準とは無関係です。
善行や愛行が、次元の異なる霊的な身体である《幽体》を健全化させたり、霊的な意識を高めるわけではないのです。
肉体を健康にするために必要なのが、適切な栄養摂取と運動であるように、《幽体》を健全にするためにも、栄養摂取と運動が必要です。
その《幽体》にとっての、栄養摂取と運動にあたるものこそ、《契山館》で指導がなされている《霊的修行法》である《神伝の法》なのです。
byなおいー
死後の世界の上下は法則で決まりますからね(`・ω・´)
死後は、法則によって、自分の幽体に合った世界に行く。
幽体を成長させないと、どうにもならないです(´・ω・`)
死後に行き先を決めるのは、善悪や心のあり方と思い込んでいる人は大勢います。
兎にも角にも、とりあえず幽体を鍛えなければどうにもなりません。
他の宗教にも、幽体を正しく教えてくれて、それを鍛える方法を示してくれているのなら契山館でなくても良いのかもしれませんが、凄い霊魂学と修行法が揃っているのは、契山館だけなんですよね!!
「契山館だけ」という言葉に、おごりをお感じになる方がおられるかもしれません。
しかし契山館以外に幽体を健全化させることの大切さを説き、確実に成長させるような技法をお持ちの団体は他にありません。
心を正し、日々、人間としての成長を求めていくことは、記事にもあります通り、大変大事なことです。ですが、霊的トレーニングを行いますと、幽体の成長はそういったこの世的な行いで伸びていくものではないと、はっきり分かります。
大変残念ながら、この世の常識はあの世の非常識であることが大変多いです。是非動画をご視聴ください。