先日、人が祈っている画像が必要になったので、
ある無料素材サイトで「信じる」というワードで画像検索をしました。
出てきた検索結果に、しばらく違和感がありました。
私は人が真面目に祈っているような画像が並ぶものと思ったのですが、
「人をだます、だまされる」印象のイラストの方が多く並んでいたからです。
「信じる」って、良いイメージの言葉だと思うのですが、
今、一般的に「信じる」という言葉から必要とされる画像は、
真摯さより、悪質さの方なのですね。
犯罪防止のチラシ作成などに画像が使われているのでしょうか・・・。
すこしガックリした気分になりましたが、
私だって水波霊魂学に出会う前は、
「宗教なんて近づいてはいけない」と思っていました。
もしそのまま生きていたら、
今の悪質なイメージに飲み込まれていたことと思います。
(そもそも生きていないように思いますが😓)
ですが、神伝の法を実習して、
大きな誤解をしていたと気づきました。
「信じる」は、幽体が霊的な栄養を吸収するために、大切な事だったのです。
正しい宗教心は、生きていく上で必須なのでした。
人間にとって、最も大切な事柄を否定してしまうから、
宗教が形ばかりのまがい物になってしまっているから、
人間は幸せになりにくいのだと知れました。
この動画をご覧ください。
byゆず
最近では、詐欺事件のニュースが多いからなのでしようか。新聞などにも、毎日詐欺の被害に遭われたニュースが載っています。これでは疑心暗鬼にならざるを得ないのも仕方ないかも知れませんが、素朴な信仰心だけは無くさないでほしいですね。何故、宗教が人類と
共にあったのか。宗教しか、人間を語る事は
出来ないのだと思います。
信じて求めない限り、高級な霊魂方は何も出来ないですからね~。
今の人たちは、誰も信じないので、何も出来ないです(´・ω・`)
この世において本物の信仰心を深める事は、人間にとって最も重要な事であるにも関わらず、かなり難しい事なのかもしれないと感じています。
しかしながら、やはり私達が真の意味で人間らしく生きていくには、信仰心を深めていく以外にはないように思えます。
どうか契山館との出会いを、本物の信仰心に気付き深めていくための、きっかけにして頂きたいと願っております。
己より高級、高貴な存在を信仰する行為そのものが失われていってるのかもしれません。
そうだとしても、どこかで真実を求めようとされる方は望みがあります。
辞書には信ずる(信じる)とは、
①疑わずに本当だと思い込む
②信頼する③信仰する とありました。
日常生活での信頼性から宗教の信仰までを
一語で表現するのは危ういな、と思いました。
だから色々な素材があるのですね。
自分は水波霊魂学を知ってから、
宗教について話す時だけ『信じる』を使うように
気を付けています。