30%弱・・・これが何の比率かと申しますと、昨年末のある調査で、初詣に行くと答えた方の比率なのだそうです。
もっとも調査によって、数値にはかなりのバラツキがあるようですので、あくまでも、私が昨年末に目にした調査における数値ということです。
さて、日本人の30%弱というと、3千5百万人ほどでしょうか。
これを少ないと考えるか、多いと考えるかは、判断が難しいところかもしれません。
ただ、同じ調査によると、年末年始に旅行へ行くという方、同じく帰省をするという方が、どちらも20%以下だったので、30%弱の方が初詣に出掛けるのであれば、その人数は、決して少ないとは言えないように思われます。
これは私個人の考えに過ぎませんが、もしその30%の方々が、素朴な信仰心を維持していて、真摯な気持ちで初詣に出掛ける習慣が残っていたら、現代において、この世の霊的環境が、ここまで悪化する事は避けられたようにも思えます。
私達人間が宗教施設を訪れる事の意義は、何よりも肉体と重なっている幽体に、質の良い幽気を吸収させる機会を持つことでしょう。
その機会が失われれば、人間の幽体は栄養失調となって、活力を失ってしまいます。
そのような不健全な幽体では、肉体の死後は、恐怖と苦痛に満ちた、下の世界へ落ちる事になってしまうでしょう。
もちろん本稿は、初詣を勧めるためのものではありません。
残念ながら、幽体の栄養素と成り得る、質の良い幽気が失われた宗教施設を訪れても、何もプラスになる事はありません。それどころか本稿では触れませんが、マイナスの影響が懸念されます。
宗教施設を訪れるのなら、質の良い幽気が降りている所にするべきです。
《契山館》には良質を超えた、高級な幽気が、燦々と降り注ぎます。
残念な事ではありますが、その様な尊い場は、《契山館》以外にはないという現実を、私達は知るべき時だと思います。
今、求められている信仰とは、伝統を踏襲する事でも、ご利益を求める事でもなく、ただひたすらに《富士の神霊》に連なろうとする事のように、私には思えてなりません。
《富士の神霊》から吹き降りる救いの風は、今も私達の頭上を流れ続けているのかもしれません。
あとは、その風を全身全霊をもって受け止め、受け入れる事のみが求められているように思えるのです。
今年こそは、このチャンスを掴み、受け入れる方が、続々と登場されることを願うばかりです。
なお、《契山館群馬支部》でも、毎月1回行われる《支部集会》の見学が可能です。
見学ご希望の方は、本稿末尾の〈メールフォーム〉から、お問い合わせ下さい。
byなおいー
30%の初詣の人のほとんどが、御利益を期待しているのだと思いますが、宗教施設の存在の意味を知らないだけで、何かを直感する人も居ると思います。人間にとって何よりも大切なのが良質な幽気です。何とかそれに気付いて
欲しいです。
自分勝手なご利益を叶える高級霊魂は居ないです。
霊的な成長を求めて欲しいです(`・ω・´)
正月休み中に、TVで初詣特集がいくつもやっていましたが、見ていてつくづく、初詣はご利益を求めに楽しみに行く場になっているのだなぁと感じました。神主さん達も、あの手、この手で、ご利益がある雰囲気を作り出していて、「何を根拠に厄を払えると言えるのだろう・・・」と改めて感じました。
本当に厄を落としたいのでしたら、真摯に高貴な霊魂を求めましょう。