漫画「ラーメン赤猫」

皆さん、好きな漫画はありますか?

私はここのところ、「ラーメン赤猫」(ジャンプ+で連載)が好きで、時々、気分転換に楽しませていただいています 😀 

最近の少年誌は、人が食われるだの、殺されるだの、読者の目を引かせるために残酷さを売りにしている内容が多いような・・・💧
暴力に何か作者の真摯な思いでもない限り、とても読む気になれなかったのですが、

職場にジャンプ好きな方がいて、話題づくりでなんとなく目を通していたところ、ほっこりする内容にいつの間にかハマっておりました 😳 

 

猫と人間一人が営むラーメン屋さん。

生きていくのに苦労した猫が人間の言葉を話せるようになる、というファンタジーな設定なのですが、

飲食店なので、自分の猫毛を落とさないように修行をしたり、
人間も気持ち良く働けるように労働条件を社長の猫さんが整えていたり、と、意外と現実的で、猫たちのキャラクターも、いかにもどこかにいそうな人間味(ネコ味?)があって魅力的です。

 

心傷ついた人間へのエールだったり、世の流れへの風刺もあったりして、作者の方は、人間と動物のウォッチングに長けている真面目な方なのだろうなぁと感じます。

それとなくはられた伏線が回収されていくところもニクイです。

 

 

今シーズンアニメ化されましたが、

原作のエッセンスが大事に映像化されていて、制作スタッフの良心を感じました。

以前、原作の改悪に悩んだ作者が自殺してしまうという悲しい事件がありましたが、

自分の子供のような作品が、TV局の思惑だったり、ドラマ製作者の我欲であったりで、まるで違うものにされてしまったら、作者本人にとっては、さぞかし心傷つけられる思いがすることでしょう、

自分の思いを捻じ曲げられてしまう原作者の方々が、受け身で気の毒です。

 

 

主張が捻じ曲げられる、という点で、
私たち、契山館会員が一番悲しく思うのは、

なんといっても水波霊魂学が正しく理解されない、広まらない、

「宗教」というカテゴリーに入ることで、犯罪めいたものに誤解されてしまう、という点につきます。

 

各人のフィルターで物事は判断されますし、

沢山の事件があったことを思えば、仕方ない部分もありますが、

 

一度でもいい、フラットな目線で、水波霊魂学の主張をご確認いただきたいと願っています。

 

世の中の本質を見ようとすることもなく、

ただ、自分のこれまでのフィルターを通して、否定する、馬鹿にする、

そんな姿勢で世の正しさが測れるはずありません。

 

人類の歴史上、宗教の中で語られてきた「残忍に人類を殺してきた恐ろしい神」も、人類による「神」の改悪であるそうです。

 

霊的に正しいこととは何か

↓霊的な達人の、少年時代の質問の真摯さに、私たちは学ばねばなりません。

byゆず

 

☆✉  メールフォーム  ✉☆

 

漫画「ラーメン赤猫」」への4件のフィードバック

  1. 遠い昔、少年ジャンプは毎週読んでいました(^^)
    YouTube等を見ていると、霊的な主張を真っ向から否定し、排除しようとする方々がいます。
    そのような意見に惑わされてしまうと、本物と出会ってもチャンスを逃してしまいます。霊的なチャンスを逃してしまえば、死後、悔やんでも悔やみきれない現実が待っています。
    ゆずさんのおっしゃるように、世の中の本質を見ようと思えば、自然に宗教は無視出来ないと個人的には感じてしまいます。

    私も、動画の達人の質問は、強く心に残りました。

  2. 「ラーメン赤猫」___φ(゜ー゜*)メモメモ♪
    面白そうですね!
    最近、面白いマンガがあまり見つからないんですよね~。

  3. 私は漫画とかアニメには、無縁の人生を歩んで来てしまいましたが、その様な魅力的な作品があるのですね。

    私は、そろそろ「おじいさん」、と声を掛けられるようになりそうな世代の人間ですが、これから漫画の世界に興味の幅を広げていくのも、良いかもしれませんね。

    宗教に付けられ固定化されてしまったレッテル・・・せめて尊いものを尊いものとして、受け入れる事が出来た30~40年前に戻れれば、《水波霊魂学》も受け入れられやすいのでしょうが・・・。

    「このままではいけない」と気付いて、多くの方に立ち止まって頂きたいと思います。

  4. ラーメン赤猫、以前少し読みましたが良いですよね!飲食店系の漫画もモフモフしてる漫画も好きなので、良い漫画と出会えたな~とほくほくした記憶があります☺️アニメも気になります♪

    以前から物事の本質にこれっぽっちも興味が無い人を見る度に、(本質を知らずに生き続けて居心地は悪く無いのかな?1度お互いの感性を交換してみたいなぁ)と不思議に思っていました。契山館と出会ってからはより一層不思議に感じます。
    日頃の些細な出来事や目の前の相手ですら(何なら自分と同年代の今の子は自分の容姿ですら)自分のフィルターを通さないでフラットに見ることは難しいと思います。本質は自分にその気が無ければ目の前にあっても絶対に見えてこないし、見る練習をしていないとすぐに霞んで見えなくなるものだと思います。なかなか億劫なことなのかもしれませんが、それでも知ろうとしてほしいです。

    まだまだ勉強不足で知らないことがたくさんありますが、それにしても「神の改悪」とは、また大それたことをしてきたのですね。
    人間って……。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です