本当の安全とは?

〈安全第一〉・・・私達が目にしたり耳にする機会が多い言葉の1つです。

〈安全第一〉と言われると、否定したり反対するのは難しいですから、賛同が得やすく、民主主義の社会においては、最も重要な価値基準の1つだと言えるでしょう。

では〈安全第一〉とは何かと言えば、怪我や病気の原因となるような、ミスを犯したり、事故が発生することがないように、最大限の努力を怠らないようにするという事になるのでしょう。

そして、その先にある究極の目的は、死なないように注意することなのでしょう。

通常、霊的な視点による価値基準を、理解することが出来ない、私達の肉体の脳が、死なないことこそ幸福、死こそが最大の不幸と考えてしまうことは、やむを得ないのかもしれません。

ですから、肉体が怪我をしたり病気になることを避けるために、安全が重視されることを、私は否定するつもりはありません。

ただ、どんなに安全に留意しても、肉体の死を永遠に避け続けることは出来ません。

遅かれ早かれ、肉体が死を迎える日は必ずやって来るのです。

さて、問題はその後です。

肉体の死が、人間の個体の消滅を意味し、死後の世界が存在しないのなら、それで全てが終わりです。

しかし、人間は肉体の死によって、終焉を迎えるわけではありません。

人間は、本来、霊的な存在で、この世で生きている、今この瞬間においても、《幽体》などの霊的身体を所持した《霊的な生命体》です。

肉体の死とは、《幽体》が肉体と分離して、《幽質界》という死後の世界へと入ることなのです。

そして、この《幽質界》は、ある基準による階層世界になっているそうです。

上層の世界は、まるで天国のように幸せに生きられる世界ですが、下層の世界は、まるで地獄のような苦しみに満ちた世界なのだそうです。

ですから、いくらこの世の数十年の人生を安全に過ごせたとしても、終わりなく続くであろう死後の世界で、下層の世界に落ちて暴力的な霊魂に囲まれるようでは困るわけです。

では、《幽質界》で入る階層を決める基準とは何なのでしょうか?

よく言われるような善悪ではありません。善人が上の階層に入り、悪人が下の階層に落ちるわけではないのです。

時代や地域によってもコロコロ変わるような、人間の頭が作り出した善悪の基準によって、死後の世界の幸不幸が決まるはずはないのです。

では何が基準ななのかと言えば、《幽体》の健全の度合い、成長の度合いなのだそうです。

《幽質界》では、上層の世界へ行くほど、《幽体》が健全で成長した《霊魂》が生活していて、逆に下層へ行けば行くほど、《幽体》が不健全で未成長な《霊魂》が生活しています。

そして、肉体の死を迎えた時に、法則によって、その時の私達の《幽体》と、同程度の《幽体》の健全の度合い、成長の度合いの《霊魂》が生活している階層へと入ることになります。

ですから、長期的な視野で、私達の〈安全〉を考えるなら、この世で肉体を所持しているうちに、《幽体》を鍛えて、健全化させ、成長させておいて、肉体の死後、《幽質界》の上層に入れるようにすることこそが《第一》なのです。

いくら、この世で安全に過ごせても、《幽質界》で、苦しみの世界に落ちたら、何のための安全たったのか?ということになります。

ぜひ、少しでも早く、《神伝の法(神伝禊法と神伝鎮魂法)》の《霊的修行》の実習によって、《幽体》を健全化させ、本物の《安全》を手にして頂きたいと願っております。

byなおいー

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本当の安全とは?」への3件のフィードバック

  1. この世の人生より、あの世に逝ってからの人生の方が遥かに長いと言う事を意識する人は、ほとんどいないのかも知れませんね。それが分かれば、あの世の知識や対策がいかに大切かと言う事が分かると思うのですが…

    転ばぬ先の杖

    神伝の法だけが、今出来る唯一の対策です。

  2. 人間にとって大切なのは、肉の身を守ることだけでない、幽体を知り、鍛えることこそ、本当の安全につながる道ですものね。一人でも多くの方に知っていただきたいですね。

  3. みんな肉体の事はよく考えるんですけどね~^^;
    その先の事も考えて欲しいです(`・ω・´)

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