先日、朝の通勤時に車内でFM群馬ラジオを聞いていた所、あるお天気おねえさんが座右の銘にしている、という言葉に感動しました。
「向き不向きより前向き」
きっと有名な言葉なのだろうとスマホで検索したところ、もともと朝倉千恵子さんという方の言葉だそうです。
感動したというよりも、この言葉を聞いた時にどちらかというと、後悔という思いの方が強かったのです。
今までの人生を振り返ってみて、「自分には向いていない」という言い訳で努力を怠ったことをいろいろ思い出したからです。
特に霊的な活動においては悔やんでも悔やみきれません。
気が付けばもう50歳を過ぎてしまいましたが、今さらながら前向きに頑張ろうと思う今日この頃でした。
byガンリキ
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霊的トレーニングをしていたって、後悔したり苦しんだりを避けることはできないですもんね。
でも、もし霊的トレーニングをしなかったら、私なんて間違いなく人生自体投げ出してしまっていました。後悔も反省もせずに、人生になんて意味ない、なんて、勝手に絶望していました。
あの頃と変わらず間違いばかりの人間ですが、そんな自分を前より大事にしたいと自然に思っている自分がいます。私にとって何よりもの「前向き」を霊的トレーニングは与えてくれました。
人生に絶望している方、「前向き」という言葉が辛い方がいらっしゃったら、是非是非、霊的トレーニングを知ってください!人生を開く、本当に神秘的な人類の宝です。
霊魂学に出会う前は特に不幸でも幸福でもありませんでした。
上を見ても下を見ても切りがないと冷めた目で自分の人生を眺めていたし最期は野垂死にでも全然構わないとさえ考えていました。思えば虚無と言う死に至る病いに侵されていたのかもしれません。
しかし霊的修行が進むに連れてリミッターが外れた様です。
肉の身を纏う間は悩みは尽きませんが寿命が来ればそれも些細なことと感じています。
今は神霊や地上の師のお役に立ちたいとだけ思っています。これを前向きと言うなら前向きになれたのでしょう。
向いていない事はついつい諦めちゃいますよね^^;
僕は話すのは苦手だし、文章も苦手だし、絵も苦手だし、パソコンも詳しくないし。
でも何かやらないと、何一つ始まらないので、いつも最初はヤケクソで始めますよ(笑)
それでも苦手なものは相変わらず苦手なので、諦めることも結構ありますよ~^^;
私は《契山館》と出会えて、間違いなく幸福感が高まったのですが、同時に真剣に後悔することも多くなった気がします。
以前は、「所詮、そんなものだろう」と妥協していたような事とも、真剣に向き合わざるを得なくなったからかもしれません。
ですから、とても幸せでありながら、とても苦しいような、不思議な感覚になることがあります。
元々、私は、何をやるのにも、人一倍時間がかかるタイプの人間で、特に新しい事を始めると、人並みに出来るようになるまでに、通常の倍以上の時間がかかってしまいます。
それでも、いくつかの事は、諦めずに続けてこられたので、それもある意味では前向きという事なのかもしれません。
最近、今回の人生の残りの時間を考える事が多くなりました。仮に平均寿命まで生きたとして、後、二十数年でしょうか・・・。
現実を直視すると、為すべき事を絞っていかないと、もう、そんなに多くの事は出来ないかもしれないとも思います。
ですから、当面、食べていくために、仕事は外せませんが、残りの時間は、出来るだけ霊的な修行と活動に使っていきたいと願っています。
ある意味では、真剣な後悔が、真の意味で前向きな人生を送るための、原動力になるのでしょうか・・・。