ここ2年の間に、複数の親族・知人が亡くなりました。
お寺の宗派の違いもあるのでしょうが、葬儀の順番や埋葬の仕方、返礼の仕方が地域によって、いろいろでした。
その土地土地の根付いた慣習なのでしょうね、興味深かったです。
ところで、話は変わりますが、ホチキスの止める金具のことを皆様の地域では、
なんと呼んでいますか?
私は生まれも育ちも東京なのですが、ずっと、「針(はり)」と言っていました。
神奈川県の知人は、なんと「種(たね)」って言っているのです。
初めて聞いた言い方ですが、その人以外「種」と言っている人はありませんでした。
良かったらコメント欄で教えてくれませんか?
by Eru
身近な方が亡くなる事は、この世的には悲しい事なのだと思います。
しかも現代では、亡くなられた方が《神伝の法》の修行者でない場合、死後の世界での境遇が案じられますから、ただ会えなくなった事を悲しむという感情以上の、悲痛な思いに苛まれます。
ただ、いまだに霊的な真実に気付いてない方にとっては、《死》を直視する機会が得られる、という側面があるように思えます。
《死》から目を背けていては、なかなか霊的な真実に辿り着けないように思えるのです。
さて、ホチキスの件ですが、器具の中に入れて補充する部品の事ですよね?
考えてみると、器具と中の部品を含めて、ホチキスと呼んでいるような・・・。あとは「ホチキスの中に入れるもの」とか。
でも敢えて言えば「針(はり)」か「芯」でしょうか?
どちらかと言うと「芯」かもしれません
私は生まれも育ちも神奈川県ですが、「種」と呼ぶのは聞いたことがないです。もっとも大きく分けて、県の東部と西部では、全く言葉が違うので、「種」と呼んでいる地域があるのかもしれません。
お葬式は、地域によって、宗派によって本当に違いますよね。私は去年、初めて神道式のお葬式を体験しました。お経ではなく祝詞だったのですが、霊魂学的ではないのは同じでした。
私もホチキスの針は、針です。シンと言う人もいます。ホチキスも、ホッチキスと言う人もいます。
地域によって色々なんですね~。
まぁ~、死んだ後の葬式で、死んだ人の上下高低は変わらないので、
死ぬ前に、幽体を成長させて欲しいですね~。
葬儀形式も気になりますが、最近は厳粛な葬儀会場で、お喋りに盛り上がっているシニアもいて、葬儀慣れなのか、マナーがないのか、明るく故人を偲んでいるのか、ということも気になっています。
こちらでは(埼玉県北部)ホチキスの『しん』と呼んでいます。パッケージを確認したら『針』!
明日から『針』と呼ぶことにします。
葬儀の仕方も地域性が多くありますよね。こちら長野は簡略化せず、伝統通りきっちり行う場合が多いような印象ですが、それでもコロナ禍以降は、お坊さんを呼ばない家族葬もやや増えたように思います。何にしても、霊魂学が広まって欲しいですね。
私は関東で育って、長野県に移動しましたが、どちらとも「針」か「芯」でした。
ちなみに長野県ではブドウ栽培がよく行われていますが、ブドウの実を雨から守るための保護カバーをつける際もホチキスを使います。「針」と言ってました。
「ホチキスの中に入れるもの」と言うのは初めて聞いた表現です。
「ハリ」「シン」が多いようですね。
どちらの言い方をしても、まず通じると思いますが、どのような葬儀をしても、すでにその時には幽体は離脱しているだろうし、葬儀では、他の参列者とは違った意味での悲しみを感じます。