関東平野

私の住まいは、関東平野の北部なので、遠方の景色を遮るような小高い台地などはありません。

広々とした平地が広がり、ローカル線が走り、市街を抜ければ、すぐに田んぼの光景が広がります。

しかし近年田園風景は『開発』という名のもとにあっという間に破壊されています。

車でしか行けないような場所にショッピングモールが建ち、車を所有していなければ住めないような場所に無秩序に新興住宅街が出没し、無機質な巨大な物流倉庫があちらこちらに出現し、道路も地割れのように整備されています。

なので、車中から雄大な富士山を見つければ、すぐに様々な建物や電線等に遮られてしまいます。

歴史を振り返れば、関東平野は何もない広大な平地だったはず。

そこでは、四方八方いつ氾濫するか分からない河川に囲まれた生活なのだから『無事でありますように』と月や太陽そして彼方の富士山へ自然と祈りを捧げたであろうと想像します。

そして今と違って遮るものもなく、遠く彼方にそびえ立つ富士山はどんなに美しかったであろう、と思います。

『開発』とは日本人の日常から富士山を消すようにも思えます。

これからも富士山に憧憬を抱く日本人が絶えませんように。

byくろもじ

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関東平野」への4件のフィードバック

  1. 昔は、かなり遠くからも富士山が見えたと聞いたことがあります。忙しい現代人は、天を見上げる余裕もないのかも知れませんね。建物や電線が富士山を遮るように、人々の素朴な信仰心も、物質的な思考に遮られてしまったのかも知れません。それでも、求めれば本物がある時代でもあります。

  2. 昔は素朴な信仰があったのに、残念ですよね~(´・ω・`)
    昔の日本の素朴な信仰を知りたい方は、ぜひ本を読んで欲しいです。

  3. 以前、暫く御殿場の辺りに住んでいたことがあるのですが、電気配線やビルが邪魔にはなっても、割とどこからでも富士山が見えることに、とても感動した覚えがあります。くろもじさんがおっしゃる通り、ビルがなかった富士山の偉大さは、今とは全く比べ物にならない程だったのでしょうね。
    大変残念ながら、現代の邪悪な質の幽気や念で汚れてしまった富士山ですが、今でも決して霊的な価値が全て無くなったわけではないそうです。
    まず、私たち一人一人が富士山に高貴な御力を降ろされる神霊を正しく求める必要があります。書籍や動画を是非ご覧ください。

  4. 私の居住地は南関東の西の外れ、箱根山の麓と言うよりは山中にあります。ですから、富士山まで近いのですが、箱根山に隠れてしまっていて、そのお姿を拝する事は出来ません。

    私の最寄り駅から東海道新幹線に乗り、西へ向かうと10分ほどで、富士山がその雄大なお姿を現されます。

    しかし、そのお姿に視線を向け驚嘆するのは、ほとんどが外国人の旅行者のようで、多くの日本人の視線は、スマホの画面から離れる事はないようです。

    その光景を目にする度に、このまま富士が無視され続けたらどうなってしまうのだろう?一日中スマホの画面を見ていては、いつ神霊に意識を向けられるのだろう?と心が痛みます。

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