なのになぜ 心は震えたがるの?

最近やっている音楽番組は、昔の名曲特集が多いような気がしています。

懐かしい曲が聞けるので嬉しく思うのですが、
最近、凄く良いな、と惹かれる曲に出会うことが少なくなったような気もします。

そんな風に思う人が多いからこその昔の名曲特集なのかな、とも思います。

株価は上がっているようですが、物価高騰で国民生活は苦しい時期がまだまだ続きそうですし、音楽に気を使っている暇が少なくなった、ということなのでしょうか。

 

欲を満たすことが何より大切な私たち人間ですが、食欲など、単純な肉の欲だけでなく、心が震えるような感動を求めている気持ちも強くあるように思います。

 

感動の名作映画、綺麗な音楽、風景、尊敬する人との出会い、

自分を超える何かに出会いたい、

心はこんなにも感動を求めています。

 

水波霊魂学を知ると、その気持ちは、人間の最も根本的な願い、神霊を求める気持ちから発生しているように思います。

 

霊的な修行から得られる感動は、人間のどんな他の欲の満足より、圧倒的です。

あの感動に、どうか出会って欲しい。

合宿の効果を実感した会員に共通した思いです。

★圧倒的な感動しかない一冊

byゆず
※記事のタイトルは福原美穂さんの「Black Star」の歌詞より引用

なのになぜ 心は震えたがるの?」への3件のフィードバック

  1. 私は歳なので、わかりやすい歌が落ち着きます。そう言った意味では昔の歌は聞きやすいですね(^^)

    歌詞などに良く使われる「もうひとりの自分」とか「本当の自分」の気持ちは、もしかしたら幽体の気持ちを知らず知らずのうちに
    書き表しているのかもしれませんね。

    「本当の自分」を本当の意味で救えるのは
    神伝の法だけだと思います。

  2. 私の半生を振り返ってみると、正に感動を貪欲に追い求めてきた半生であったと思います。

    感動するかしないか、それが私の人生における価値基準であったように思います。

    私が追い求めてきたもの、それは音楽であったり、美しい風景であったり、宗教的な世界であったりしました。

    その結果、最終的には《契山館》に辿り着く事が出来たわけですから、紆余曲折はあったにせよ、私の「感動を求める」という価値基準は、間違ってはいなかったのでしょう。

    《契山館》で得られる感動は、異次元の凄さです。この感動の前では、他のあらゆる感動が霞んでしまうほどです。文字通り、体験する前と後では人生が変わります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です