いつもの散歩道で

先日、いつもの犬の散歩道を歩いていたら、「あっ⁈」と思う光景が目に入りました。

何といつもそこにある木蓮の木が切られていたのです。

もうすぐ咲く季節だったのに・・・

ブログの記事にも2回ほど投稿しました。

特に思い入れがある訳ではありませんが、個人的に、この木で季節を感じていました。

過去記事から「狂い咲き」

過去記事から「ふくら雀」

私は、急な変化に対応するのが苦手な方なので、少し寂しさを感じました。

木の下にある大きな石に、時々お爺さんが休憩していたのを思い出し、「そう言えば最近見かけないなぁ」と思い、その日は忙しかったので急いで帰りました。

足速に帰りながら「物質世界は変化するのは当たり前、同時に重なっている幽質の世界も、いつまでもこのままではいけないのだろう」と何でもそっちに繋げて考えてしまう私は、切られた木蓮を見て、何故か自分の不甲斐なさに勝手に焦ってしまいました。

byガンリキ

 

☆✉  メールフォーム  ✉☆

 

いつもの散歩道で」への3件のフィードバック

  1. 親しみを感じていた植物や建物が急に無くなると、なんとなく切なくなりますもんね。
    新しい出会いがあるといいですね(TT)

  2. この世は移ろい行くものなのでしょうが、今まであったものがなくなるのは、寂しいことだと思います。

    私は何年か前に、小学生の頃に住んでいた場所を、訪れる機会があったのですが、当時の家の前にあった大木がなくなってしまっていて、驚かされた記憶があります。

    幽質界では、きっと頻繁に景色が変わったりするのでしょうね。さっきまであったものが、忽然と消え去るとか、逆に急に出現することも、日常茶飯事なのだろうと想像しています。

    私は環境の変化等への適応が不得意なので、そのような変化に付いていかれるかどうか、少し心配です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です