数年前、一度だけ広報部主催の講演会が開催されました。
私は自分の身近な人数人に参加を呼びかけました。その中の一人、若い頃は仕事もバリバリで勤めていた会社では地位のあった、今では70代の男性ですが、私の誘いに、
「60歳を超えたら死後の世界が気になってきた。○○さんがそう言うことをやっているとは意外だった。興味があるので参加させて頂くよ。」
と友人一人を連れて参加してくれました。この方は、一冊だけ師の書籍を読んでいます。
あれからしばらく会っていませんでしたが、仕事でその人の家へ2週間ほど通うことになりました。
休憩時間は一緒にお茶を飲み世間話をしますが、一切その時の話しに触れてこないので、私も触れませんでした。
会話の中で察するに、年代のせいもあるのかその方には水波霊魂学の主張よりも、既存の仏教の方がしっくりするようです。
「若い頃は仕事で忙しかったので、地域に貢献できなかった。」と今ではボランティア活動などに励んでいます。
善行で徳を積み、仏を拝んでいれば死後は安泰と思っているのかもしれません。
そのような方は、まだ世の中に大勢いらっしゃると思いますが、素朴な信仰心だけで何とかなる時代ではなくなったと私達契山館は警笛を鳴らしています。
善悪で死後行くべき世界が決まるわけではありません。先ずは、この世に物理法則があるように、あの世にもそれとは全く違う法則があると言うことを知って欲しいです。
昔からの教えが正しいとは限らないのです。それらが正しいのなら人間が未だこの世で苦しんでいるのは何故なのでしょう?
正しい知識と、救いの法は契山館にあります。
byガンリキ
私も善行・愛行に励んで、宗教的教義に基づいて自らを振り返っていれば、霊的に成長するから死後は安泰だと信じていました。
ですから、《契山館》の存在を知った時には、なぜ善行や愛行によって、霊的に成長することが出来ないのか?と疑問に思いました。
けれども、善行や愛行を何十年続けても、霊的に成長出来たとの実感が得られてなかったのも現実でしたので、《契山館》の主張が正しいのでは?と考えられるようになりました。
また、時代や地域によって異なるこの世の善悪の基準が、霊的な世界では通用しないことや、食べなければ生きられないこの世では、本物の愛行を実践することは無理であることも理解出来ました。
そして《契山館》の主張は実践してみた時に、さらには実践すればするほど、その凄さと素晴らしさを実感することが出来るものだと思っています。
『間違った知識は役に立たない』その通りですね!(`・ω・´)
霊的に正しい知識を身に付けて欲しいです(`・ω・´)
おっしゃる通りですね・・・。
この世で善行を積むことが、人間にとっての真の幸せであるのなら、もっと人は常日頃幸せを感じられているはずですよね。
幽体に必要な霊的な栄養を取れば、自ずと人間にとって本当に必要な事とは何か、見えてくるように感じています。
善行そのものを批判したくありませんが、死後の世界をこの世の基準と同じ様に考えるのは危険です。
既に納得された信仰を持っておられる場合、変えるのは中々難しそうですね…