初めて群馬支部集会へ参加した時のこと
会員の方が発した水波霊魂学の『ことば』(幽体、幽気等)を聞いた瞬間、内面深くから感動がこみ上げてきたことを今でも覚えています。
今日的ですが、ネットで水波霊魂学に出会い、Amazonから書籍を取り寄せ、そして様々なタイトルに沿って読書を進めれば、まずは霊魂学の基本的な事が分かるかもしれない、と知識の獲得を目的に読書を進めていました。
しかし一年近くが経っても語られている世界が広いので基本的な用語を覚えられる程度でした。
一方で、人生の中で無意識に身についしまった社会的伝統的価値観・教えにとらわれない視点を僅かですが持てるようになりました。つまり目に見えないモノ(道徳、善悪、宗教など)に対する視野がクリアになっていきました。
今の時代に生きる自分にとって必要な考えをできるだけ広い領域の中から取捨選択し、磨いていきたいという感覚です。
端的にいえば『自分を変えたい』という思いから精神世界への冒険が始まりました。
本屋に並ぶいわゆる自己啓発系またはスピ系などの本を手に取り、共感、癒しそして愛などの内容で心が刺激され、読後は『自分が変わった』様な気がしましたが、持続して1週間、すぐに元の嫌な自分へ戻っているのに気づきました。
水波霊魂学書籍も当初は『自分を変えたい』から手に取りましたが気づけば『知りたい』衝動が止まらず、一年かけて書籍を読み漁りました。
しかし、頭で理解することも大事だと思う一方、内面の奥深くで霊的生命体としての自分が 『何か』を感じる努力もしなくてはならない、と思い始めました。
今を生きる自分にとって知るべきことや知りたいことを契山館で学べるかもしれない、 と決断し入会、支部集会参加しました。
冒頭の『会員の方が発することば』に深い感動をしたのかもしれません。
byくろもじ
体験しないと分からない部分もありますよね。
霊的な事は、物質の脳では分からないですからね~。
水波霊魂学は時に厳しい現実を突きつけますが、現代を生き抜くには、綺麗ごとでは何も救われず、前進出来ないと思います。人間が霊的生命体である事を前提に生きれば、水波霊魂学は、道しるべとなるに違いありません。
くろもじさん、入会当時のお話をありがとうございます。
水波霊魂学の各書籍で先に沢山吸収されたり、他の書籍を読まれたりされた後に、入会されたのですね。くろもじさんらしい真摯なエピソードだと感じました。
日常は常に苦しい、悲しい、辛いことだらけで、自分の人生の先を照らしてくれる光明が誰しも必要ですよね。
そんな私たちだからこそ、支部集会や霊的な行事に参加して、霊的に高貴な刺激を受ける必要があるのだと思います。
徐々に見てくるもの、必要な書籍の内容が変わってくるのではないかと思います。
お話の内容が自分の身に覚えのあることばかりで、うまく言葉にはなりませんが、とても共感します。
くろもじさんが入会され、支部集会に参加されて本当に良かったなと思います。
私が宗教的な世界に興味を持ったきっかけは、死んだらどうなるのかが知りたかったからです。
でも、10代の半ばから後半になると、自分を変えたいとか、もっと成長させたいという思いが強くなってきました。
それで、いくつもの宗教を巡ったり、今世紀に入ってからは、スピリチュアルの世界にドップリと使って、自己変革に努めました。
でも、くろもじさんの言っておられる通りで、得られる感動は一時的で長続きせず、何年・何十年経っても、自分が変わったという実感も、成長したという実感も得られずにいました。
その様な、宗教的な世界に絶望しつつあった時に出会ったのが《契山館》でした。
何十年間も必死に学んでもダメだったのが、《契山館》に入会して、《霊術》を受けたら何かが変わりました。《支部集会》に参加したら、ますます何かが変わりました。そして極めつけは、やはり《神伝の法》の合宿研修会への参加だったと思います。
この7~8年の間に、もう、何十年分どころか、何百年分変わったのか、何千年分成長出来たのか、見当もつかないくらいです。
そしてその道は、終わりなく、どこまでも続いて行くのだろうと思います。
本当に人間は、《幽体》が変わらないと、変わる事が出来きないというのが、私の実感です。
ぜひその事を、多くの方に知って頂きたい。そして受け入れ、実感して頂きたいと願っております。