皆さんは座右の銘と言うモノをお持ちでしょうか?
私にもありますが契山館に入会して霊的修行者になった前と後では違うモノになってしまいました。
私のかつての座右の銘はと言うと
『人間、至る所に青山あり』(ジンカンいたるところにセイザンあり)でした。
ジンカンとは生きて人生を全うする人の世界、青山とは自身のお墓となるべき土地と言った様な意味です。
つまり、いつ、どこで、どんなふうに死んだとしても、その死んだ場所が自分のお墓なのだと考え何かに固執すること無く、与えられた生を悔いなく日々を過ごすべし。と言った意味だと解釈して座右の銘としてきました。
これが高校生くらいから最近、新しい座右の銘に変わるまで続きましたから本気でそう思っていたのでしょう。
で、今の新しい座右の銘はと言うと
『鰯(イワシ)の頭も信心から』になりました。この意味の説明は今更、必要もないでしょう。おそらく、この座右の銘は生涯続くと想像しています。
これが座右の銘だとは「ちょっとふざけてる?」との誹りを受けそうですが私的には至って真面目なモノです。
これは人間の信仰心の限りない強さと底無しの怖さを的確に表した名文言だと私は感じています。だからこそ自身の座右の銘たらしめたのだと考えています。
最近とある破壊的カルトの幹部と称する人物に人づてに質問する機会がありましてその質問と回答をご紹介したいと思います。
質問)
X団体(ヤバすぎる集団なのでイニシャルですら有りません)では信者の退会を認めず、退会の手続きすら存在しないのは何故ですか?
回答)
辞めた人も後で本物と気づいて帰ってくるから手続き自体がないのではないか。
いずれ近い将来、広宣流布の末に日本中の人が全員、X団体に入って信心をやるようになるのだから退会すること自体、意味がない。
一回、縁が繋がっているから辞めても◯◯様との縁が切れる訳では無い。なので退会届は不要で用意されていない。
とのことです。
ある程度、覚悟はしていましたが想像を超えたぶっ飛んだ回答でした(笑)
ツッコミどころが多すぎて逆に沈黙してしまいます。しかしこの団体の信者はこの日本に実在していますし、今この瞬間にも新たな信者の獲得に寝食を忘れて奔走しています。
人間の信仰心が誤った信仰、信仰対象に向けられると、それに関わった全ての人を不幸(死後も)にします。でも実は案外、世界中の各所で行われているありふれた日常の一例なのかもしれません。
私は今現在の正しい信仰、正しい信仰対象に疑うこと無く自分自身の信仰心を注げることが出来る境遇に心の底から安堵しています。
byゆたんぽ
良い言葉ですね。
しかし、高校生の頃からそんな座右の銘を・・・。
ゆたんぽさんは達観されてらっしゃったのですね。
残念ながら現代は、悪い方のイメージで語られてしまいがちですね。
信心こそが人間にとって一番大切な、救いへのパスポートなのに、
ぶっ飛んだ回答をするような団体ばかりが注目されてしまって、
大事なことから皆様目を背けてしまう・・・本当に悲しい時代です。
そのような宗教が実在するのですね。
信仰心の重要さと素晴らしさ、と同時に難しさについても考えさせられます。
本物である《契山館》を、真実の宗教と確信してして信仰することが出来る信仰心、ニセモノの宗教を真実と感じて信仰してしまう信仰心、その違いを生むものとは何なのでしょうか・・・求めるものの違い、影響を与える人や霊魂の違いなど、いろいろあるのでしょうが・・・。
私には《契山館》に入会する前に関わっていた宗教や、その類似団体がいくつかありますが、いずれも退会等に関する手続きがあって、簡単に辞めることが出来たことは幸いでした。
ちなみに私は、これといった座右の銘を持ったことはないと思います。
私の座右の銘は、オリジナルを持っていますが、誤解を招きそうなのでここではやめておきます(^.^)
その幹部さんの回答には開いた口が塞がりませんでした。人間の自由意志を全く無視していますね。
それだけ強引な考え方が通るなら、とっくに人類は救われていると思うのですが・・・
『鰯(イワシ)の頭も信心から』
良い言葉ですよね~( ̄¬ ̄)
僕もこの言葉好きなんです(´艸`)